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片手でブラホックを外すな

彼氏持ちの女の子から

”性行為におけるリスクは女に偏りがありすぎる”

という言葉を聞くけれど、それは事実ではあるものの、だったら子供欲しい時以外やらなければいいと思う。
毎回妊娠のリスクに怯えながらしても楽しくないし実際自分の心に負荷がかかっているのであれば意味ないと思う。


わたしは、愛を確かめ合うコミュニケーションとして日常的に行われる性行為にあまり意味を見いだせないのだ。どうして我々人間には言葉があるのに言葉にせず性行為に頼るのか。
動物的生存本能の1つとして私達生き物には性欲が備わっているという事に理解はあるが、それは子孫繁栄のため以外の何ものでもなく子供を産む気がないのであれば性行為なんて要らないと思うのだが、世間はどうやらそうはいかないようだ。
性行為出来なきゃ(生理的に嫌悪を覚えるという意味ではない)恋人じゃないみたいな風潮にわたしは恐怖を覚えるのだ。関係性にそういった縛りをつけるのは2人の間に溝を生む原因になりうるとおもう。

だからといって友人と性行為してもokみたいな意味ではなく、友人に性的興奮を覚える時点でもうそれは動物同士で盛っているだけなのに寒い友情を騙るのはみっともないな、と常日頃感じている。
この話をすると皆「夢を見すぎ、純粋すぎる」とわたしを指さして笑うのだが、全然まったく分からない。
我々が人と繋がるには言葉だけではなく、相手に見せる誠意ある行動がまずもって必要であり、その上で言葉に信ぴょう性が生まれる。
そうであるはずなのに、この人と居たらもしかしたら子供を必要としていないタイミングで妊娠するかも、もしかしたら相手は自分の体目当てなんじゃ、なんて不安は邪魔な感情でしかないはずだ。

断言しよう。それらは最初から性行為をしなければ生じるはずのない悩みなのだ。

セックスしたければすればいい。だが、セックスありきの恋愛なんて無い。不安があり、文句を言うならしなくていい。
分からない。わたしにはつくづく分からないのである。

わたしにとっての恋愛感情は、友愛と一歩ずれた場所にあると考えているため

”性欲≠恋愛感情”

を謳っている。
特別人として尊敬出来たりその人といる時にだけ生じる居心地の良さを感じる瞬間だったり、そんな相手とのまだ見ぬ2人きりで築く未来を願ってしまうような気持ちにわたしは”恋愛感情”と名付ける。

勿論、友人においても同じような気持ちをわたしは抱いている。
「じゃあ、どこで恋愛と友愛を区別しているの?」
いまこの記事を読んでいる貴方は、このような疑問を抱いたであろうと思う。
そんな疑問にお答えしよう。
わたしにとっての恋愛と友愛の分かれ道には”2人きり”の部分が重要なのだ。
友人に対して独占欲が生まれることに対して、わたしは不健全さを感じるのだが、恋愛においては必然であると思っている。
ここ日本では、法律で婚約者は1人のみと定められている。
夫・妻をシェアハピ♪なんておかしいでしょう?(古いとは言わせない!)それが日本人的感覚であるはずだ。
だが、友達の人数は制限を設けられていないので個人的感情で縛りつけることは極めて異常であり、友愛とはかけ離れた感情の”依存”と呼ばれる不健全なものであると言えよう。
しかし、交際においても相手の恋愛関係以外の縛りを作ることは同じことが言えるのでそこだけは注意したい所だ。例えばわたし以外の連絡先消して~だとか遊びに行かないで~だとか。
そんなことしなくても安心できるような相手を恋人に選ぼう!
「誠実な人だと分かっていても不安なの(р_т)」
ふざけているのか?人を信用出来ない内は他人との繋がりを求めるな!
まずは人を信じられるような愛溢れる人間になってから出直してこい!

そんな貴方にはこちらの𝓛𝓸𝓿𝓮 𝓢𝓸𝓷𝓰を捧げよう……

この曲の主人公である少女は、病弱で後先も短いであろうその状況下で、まだ見ぬ想い人への愛を願えるような余裕がある。
余裕のない状態にある貴方には、まだ恋愛は早い!
あえてもう一度言わせて頂こう、

まずは人を信じられるような愛溢れる人間になってから出直してこい!

END

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