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年頭に「ナイチンゲール」を読む

明けましておめでとうございます。

今年も年が明けました。
月が変わるだけですが、心新たに、年を迎えたいと思います。

さて。
医療行為の実践の現場に出ることは無くなった私ですが、退院支援という側面から患者さんに関わり続けることは今年もできます。
またもう一つの仕事としては、医療や介護に関わる方々の素晴らしい志に触れたり、応援したり、支えたり、今年も行っていこうと思います。

その目標を、ナイチンゲールの言葉に置き換えて、ここに記しておきます。

自分自身では決して感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事は他に存在しないのである。

F. Nightingale(1860) Notes on Nursing:Supplementary Chapter1-2
(湯槇ます訳、「看護覚え書」p277,現代社、2011年

  他者を理解することなんてできない、と、その難しさを痛感しておられる方は
  そのように、言い切ります。
  それが厭世的なのか、努力してみた結果うまくいかなかった、という経験の
  中での悟りなのかはわかりません。
  ですが、他の感情のただなかへ自己を投入する能力を持ち合わせている人や、
  全てではなくても本人さえ気づかなかった本質に、迫る瞬間、
というのは確かにあります。これを必要な能力として信じ抜くこと、が看護師には必要です。正解はない、という言葉に逃げたり、また、「これが正解だったね」という短絡的な結論に収めることも、どちらも危険だと思っています。「あなたには私のことなんてわからない」と言い放たれたとしても、
「あなたに見捨てられたい」と思っている患者はいないと思うからです。
「あなたに何がわかるの?」と感情を吐露するその人こそ、助けを求めているかもしれない、と、捉え、観察し、寄り添い、変化を見て、安楽や自律への惜しみない手助けを行う。

そうやって、その能力は磨かれていくのだと思います。

なので、同時に以下の言葉も、忘れてはなりません。

看護師のまさに基本は、患者が何を感じているかを、患者に辛い思いをさせて言わせることではなく、患者の表情に現れるあらゆる変化から読み取ることができることである。

前述

さて、そのために、私たちは、学ばなければなりません。
その学びは、
高尚な知識をひけらかすのではなく、高望みすることでもなく、非常に地に足のついたものでないといけません。
「そんな高尚な研修や知識は現場に要らない」という現場は危険です。
何も高度なことを展開しようとは思っていないのが私流です。

大切なのは、患者のために学ぶことです。
患者の奴隷になることではなく、患者を正しく支援しなければなりません。

看護師は確かに患者の『要求に対して優しい思いやり』を持たねばならない。だが一方では、筋の通った考え方を持っていなければならない。

患者や家族によるハラスメントは、年々ひどくなっています。コロナ禍における患者や家族の不安に対応しつつ、看護師そのものの尊厳も揺るがされています。
対立したり、自己防衛に奔走するのではなく、正しい知識と自己への尊厳を持って、きちんとした考えを自分で持っていれば、きちんと対応できるのです。
いただく苦情を活かせるか、解決できるかのキーポイントは、こちら側にあることが多いのも、事実です。

ハラスメント研修や、接遇研修で、また、現場でのスタッフ支援でそれをいかせていければと思います。
いくらメディエーションや接遇の資格を持っていても、実践で活かせて対応できなければ意味がありません。現場は実践の場です。
そのようなことがきちんとできているナースを私は知っているので、
言い切ることができます。
→ セミナーや研修のお問い合わせは、こちらをご覧ください。

この2本の柱を持って、現場をいろんな形で支えられる1年を送りたいと思います。

何卒よろしくお願い申し上げます。

サポートいただけましたら、関わっている人たちをさらに支援するために、サポートするための書籍や学習に使います!