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【要約版・和訳】ドーナツ経済学が世界を救う/ケイト・ラワース著

サスティナブル【持続可能】な世界を考える上で、最大の壁とも言える「経済」の問題。あくなき経済成長を目指すこの世界だからこそ、環境汚染も止まらない、環境会議もまとまらない。

しかし今、世界を動かしている経済学の基盤となっている考え方は、なんと100年以上昔のもの。

ケイト・ラワースさんは、この「ドーナツ経済学が世界を救う」で、そんな時代遅れの経済モデルそのものを根本から見直すべきだと訴え、その新しいモデルの基本的な枠組みをを提示している。

ケイトさんに許可を得て、この本の要約版https://www.opendemocracy.net/en/transformation/seven-ways-to-think-like-21st-century-economist/
を和訳した。

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■Seven ways to think like a 21st century economist
~21世紀の経済学者に必要な7つの考え方~

経済が未来に及ぼす影響は甚大だ。しかし、現在の経済学の基礎となっているのは、実は何百年も前の概念だと知っているだろうか?

経済学は重要だ。これを否定できる人はいない。経済理論は公共政策の基本言語のようなものだし、数十億ドルの投資の根拠にもなるし、世界の貧困や地球という家を運営するための道具にもなる。しかし残念なことに、経済学が未来に向けた決定においてこれほど支配的な位置を占めているにもかかわらず、その基本概念は、実は100年以上も前のものなのだ。

2050年の人間社会を築く方針を作る市民や、政策決定に影響力を持つ市民になるのは、今、経済学を学んでいる学生である。しかし、今まさに彼らが学んでいる経済思想はいまだに1950年の教科書に基づいており、しかも、その教科書は1850年の学説を根拠としているのだ。気候変動から極端な不平等、金融危機の再発まで、挑まねばならない課題は21世紀のものなのに。このままではとんでもないことになる。このまま前世紀の経済物語にしがみつき続けるなら、私たちが現代に合った新しい物語を描くチャンスはほとんどないだろう。

経済学を学んでいた25年前の私は、経済学が、人類の社会的、環境的な挑戦の支援に取り組むための力になってくれると信じていた。しかし、現在の多くの経済学生のように、経済学がそういったことや現実の課題とはかけ離れた学問であることに幻滅し、深く失望した。だから私は経済理論から離れ、ザンジバルの村々から国連本部、さらにはオックスファムのキャンペーンの最前線まで、現実世界の経済の課題に取り組むことに没頭した。

その過程で、私は明らかなことに気づいた。経済学を捨てることはできないということだ。なぜなら、私たちが暮らす世界は経済学で形作られているからだ。そこで私は経済学に立ち戻って、反転させてみようと決めた。もし経済学を、21世紀の人類の目指すところから考えてみたらどうなるだろうか?そして、どのような経済学的発想なら、その目標達成に貢献するだろうか?

この問いに駆り立てられて、私は自分の古い経済学の教科書を脇によけ、考えうる限り最高の新しい考え方を探し求めた。複雑系経済学やエコロジー経済学、フェミニスト経済学、行動経済学、制度派経済学など、さまざまな学派の違いを描き出し、それらが同じページの上で一緒に踊ったらどんなことが起こるかを考えた。

この洞察は、経済の未来は、過去とは大きく異なり、私たちが必要な装備を身につければ長期的に魅力的なものになるであろうことを示唆してくれた。
それでは、誰もが21世紀の経済学者としてのスタート地点に立てる7つの思考法をご紹介しよう。

(C)KATE RAWORTH

1.「目標を変える」
国内総生産(GDP)の成長からドーナツへ
半世紀以上もの間、経済学者は経済成長の第一指標としてGDPに固執してきた。しかし、GDPはいずれ追放される誤った目標だ。21世紀には、はるかに野心的でグローバルな経済目標が必要だ。全ての要求を叶えつつ、しかし地球の資源の範囲内に収まるような目標だ。そのような目標を紙の上に描き出してみると、奇妙かもしれないが、それはドーナツのような形になったのだ。
これから挑戦すべきことは、生きていく上で欠かすことのできないもの-食べ物から、住むところ、健康や政治的発言権まで-を誰もが確実に享受でき、同時に、地球の生命を生み出す仕組み-安定した気候から、肥沃な土地、健康な海、オゾン層まで-を守ることができる経済を、地方レベルの経済から世界レベルの経済まで、創り出すことだ。このたったひとつの目的の切り替えが、経済成長の意義と形を変える。「終わりなき成長」から、「調和の取れた繁栄」へと。

2.「全体を見る」
自己完結型の市場から組込み型の経済へ

ちょうど70年前の1947年4月、野心的な経済グループが新自由主義的な経済理論を生み出し、サッチャーやレーガンが権力を持つようになった1980年代以降、国際社会を支配するようになった。
その理論の、市場の効率や国家の無能さ、家計の家内性、コモンズ(共有地)の悲劇などにおける視野の狭さが、多くの社会を社会的・生態学的崩壊の後押しをしてきた。
この世紀に適した新しい経済物語を書く時が来た-社会や、生きとし生ける世界の経済的な拠りどころとなるような物語を。
この物語は、以下のことを認識していなければならない-
市場の力-賢く内包しよう
国家の協力-考慮に入れよう
家計の核心的役割-その貢献を重んじよう
コモンズの創造性-その可能性を解き放とう

3.「人間性を育む」
合理的な経済人から社会に適合する人間へ

20世紀の経済の中心にいた登場人物「合理的経済人」は哀れに満ちた人類の肖像画だ。一人ぼっちで、手にはお金、頭には電卓、心にあるのはエゴばかり、そして自然を足元に踏みつけている。残念なことに、私たちは、「彼はまるで私たちのようだ」と言われると途端に、彼以上に彼のように振る舞い始め、コミュニティと地球を犠牲にしていく。

しかし、人間の本来の性質は、そんなものよりはるかに豊かで、新しい自画像を書き起こすにつれ明らかになるのは、私たちが相互に依存し合い、恩に報い合い、近似し合いながら、生態系に深く組み込まれた存在である
そろそろこの新しい人類の肖像画を経済理論の中心に置く時だ。そうすれば、経済が、人間の素晴らしい本質を育み始められるだろう。
そうすることは、100億人に至ろうとしている私たち全員に、ともに生き抜くはるかに素晴らしいチャンスを与えてくれるだろう。

4.システムに精通する
機会的均衡からダイナミックな複雑性へ

経済学は長い間、物理学への嫉妬に苦しんできた。アイザック・ニュートンの天才性と物理学的な運動法則における洞察力への畏敬の念から、19世紀の経済学者は、次第に経済における運動法則を見つけることに執着するようになった。
しかし、そんなものは存在しないのだ。まるで2008年に、迫り来る金融危機をないものとして経済学者に目を背けさせた市場均衡理論のように、単なるモデルでしかないのだ。
代わりに、21世紀の経済学者は、複雑性と進化的思考を受け入れるべきなのは、そのためである。
経済学の中心にダイナミックな考え方を置くことで、金融市場1%の上昇や好況と不況の波に対する新しい洞察への道が開けるはずだ。
そろそろ、どこにあるか分からない経済調節レバーを探すのはやめて(そんなものはないのだから)、その代わり、経済を永遠に進化し続けるシステムとして管理し始めよう。

5.分配を設計する
「成長はふたたび上向く」から設計による分配へ

20世紀の経済理論は、不平等に関して強力なメッセージを囁いていた。
「良くなる前には悪くなるものだ、そして成長が物事を平等にする」と。
しかし、結局わかったことは、極端な不平等は経済法則でもないし、必要性もない:つまり、設計が失敗しているということなのである。
21世紀の経済学者たちは、経済が生み出す価値を、それを生み出す人たちの間でもっと広く分配できる経済を設計する方法がたくさんあることに気づくだろう。
それはすなわち、単なる所得の再分配を超えて、土地や企業の支配から生じる富や、お金を生み出すための権力を事前分配する方法を探るということだ。

6.環境再生を創造する
“成長すればまたきれいになる”から“設計による再生”へ

経済理論は長くきれいな環境とは贅沢はものだと、裕福な社会だけが手が届くものだとしてきた。汚染とは減る前には増えざるを得ない、そして(そして?)、成長がきっときれいにしてくれるだろう、と。しかし、「不平等」と同様、そんな経済法則はない。環境の破壊は、破壊的な産業設計の結果だ。

21世紀では、直線的でなく循環型の経済を創造し、地球の生命循環プロセスに人類を「完全なる参加者」として復帰させるような設計を生み出せる環境再生的な経済思考が求められる。

7.成長にこだわらない
成長依存から脱却する

政府や金融関係者の警告によると、高所得国におけるGDPの成長は横ばいになると見られている。成長を原則とした経済の崩壊の幕開けだ。
主流派の経済学では終わりなきGDPの成長は必須だが、永遠に成長するものなど自然界にはない。
しかし、その事前法則に逆らおうとする試みは、高所得国かつ低成長の国において厳しく問題提起されている。

なぜなら今日の私たちの経済は、私たちが繁栄するか否かに関わらず成長しなくてはならないからだ。

しかし、私たちに必要なのは、成長するか否かに関わらず、私たちを繁栄させる経済だ。

そのような根本的な視点の転換ができれば、成長にとらわれずに済むようになり、現時点で金銭的にも政治的にも社会的にも成長に依存している経済が、成長とともに、あるいは成長なしで存続するためにどれだけ学べるかを探求できるようになる。

私は、これらの7つの考え方が、今世紀に求められる新しい経済的な思考パターンの基礎であると確信している。その原則とパターンは、新しい経済を考える人たち、そして私たちみんなの中に宿る内なる経済学者にとって、誰もが繁栄できる経済を創造し始める道具となるだろう。

この先私たちが直面する変化の速さや規模、不確かさの中を考えると、また、北京からブリミンガム、バマコまでの背景の多様性も考え合わせると、未来に適合する全ての政策や機関を今規定しようとするのは無謀だろう。

来る世代の思考家や行動家ははるかに素晴らしい実験と探検を得るだろう、なぜなら継続的に背景が変化するからだ。

今私達ができることは、そしてうまくやらなければいけないことは、良いアイデアを一緒くたに集めて、決して固定されず進化し続ける新しい経済的発想を生み出すことだ。

この先数十年先の経済を考える人々に課された課題は、これら7つの思考法を実践し、さらに新しい思考法を付け加えていくことだ。

私たちはまだ、経済を考え直そうという冒険に着手したばかりだ。
ぜひこの冒険の仲間になってほしい。

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翻訳:Riko Isomura / MS
参考:「ドーナツ経済学が世界を救う」(著者:ケイト・ラワース 翻訳:黒輪篤嗣)

Kate Raworth:https://www.kateraworth.com/

経済学者。オックスフォード大学環境変動研究所の講師兼上級客員研究員。またケンブリッジ大学持続可能性リーダーシップ研究所の上級客員研究員。シューマッハー・カレッジで移行計画のための経済学を教える。

翻訳家。1973年生まれ。上智大学文学部哲学科卒。ノンフィクション、ビジネス書の翻訳を幅広く手がける。訳書に、ビニー『世界の橋』、エリスマン『アリババ』、ゴードハマー『シンプル・ライフ』ほか多数。


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