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ボランティア

ああもう!色々頭の中を駆け巡って何をnoteに書いたらいいのか全然わかんない!!!!!

でも書きたい!書いておきたい!このモヤモヤもスッキリもこの途中経過も書いておきたい!笑

《親支援がしたい》

その想いをどうやって叶えていこうか始めたこのnote。
きっとあらゆる軌跡を記したnoteは1年後、2年後の宝物になるんじゃないかなとおもってスタートした。

ああこんなこと考えてたんだな。とか、こんなことしたかったんだなとか。きっと1年後には忘れてる世界、消えてる世界がそこにはあって、それを見返してはまた新しい気づきを得られるんじゃないかなと思った。

基本後ろは見ないし、人生の中でいつが幸せだったかと聞かれても、迷わず「今」と答える性格なんだけど、過去から得られることが多いのもあるし、なによりこの「今」言葉に記すことで気持ちが整理されることが多い。

親支援をするための方法はいくつもあって、保育園だったり子育て支援センターだったり児童クラブだったり、公的だったり私的だったりいろんな可能性を探してみた。

その中でひとつだけ「ボランティアはしない」と、決めていた。

ボランティアはしない

これは一見すっごいひどい人のように見えるかもしれない。

だけど、ボランティアというのは、実際持ち出しが多い。

要は、タダ働きではなく、
「お金と労力を支払って仕事をし、感謝という対価を得る(お金を得ない)」ものだということを経験上知っている。なによりかつてボランティア活動に激ハマりし、育休で貯めた200万くらいを思いっきりつぎ込んだ。笑

そのうち家計を着服し始め、比較的「見ざる・聞かざる・言わざる」の仏タイプの夫にもだんだん「・・・あれ?」と言われるようになり、あたし自身も、これって、、、、とどこかで疑問をもちながらも、それでも「よろこばれる嬉しさ・やりがい」というマジックによって相殺されていた。

一緒に走ってくれた仲間とともに、使命感に燃え、そして一緒に社会を動かしている喜びを感じた。

しかしそこには、移動費、雑費、いろんなことに、家庭のお金と貯金がどんどん使われていた。

そして、関わってくれるみんなにはもちろんお給料なんて払えないから、「ありがとう」の言葉でまた共に走る。

だけど代表のわたしがちゃんとその気持ちのケアができていないと

「これだけやってるのに・・・」

と言われることも多々あった。

一緒に走ってくれる仲間がいたからこそ、その活動も実を結んでいたわけで、その人たちがいなかったら本当になしえないようなこともやっていけた。

ただし、家計は火の車だった。笑


そこまでして、何をしたいんだろう。

私は色々考えながら、ボランティアとは一体なんなんだろうと考えた。

お金と時間に余裕がある人しかしないものなのか?

いや、志があればしてもいいんじゃないか?

いや、そもそも想いをもって仕事していれば、それでお金ももらえて、それがいいんじゃないか?

働けない人がボランティアしてるのか?

それじゃ、どうやって生活するんだ?

ダンナのお金?親のお金?

じゃ、結局誰かが働いてくれてお金があるから、ボランティアできるってこと?



ボランティアは決して悪いことじゃない。むしろ素晴らしい。

だけど、私にとっては向いていなかった。笑

というか私の場合、「上手にボランティア活動ができなかった」という方が正しい言い方かもしれない。


だから、親支援・子育て支援、一般的にはボランティアか公的事業がやるようなことだけど、どうしてもボランティアじゃない形で(そのお金が国からでも、お客様からでも、だれからでも)、きちんとお金という対価を得られるように働きたい。
 
大金を稼がなくてもいい。
ただ、経費を払えるほどの収益は絶対必要。
 

そこだけは、どうしても譲れないところなのです。

その条件を満たせるようにやれる親支援ってなんだろう。

この事業は、ボランティアなのか、それとも収益事業なのか、トントン事業なのか、

何かを始めるときに、それを一度立ち止まって考えてみることって、割と重要なんだと思うんです。

収益事業を持ちながら、ボランティアをするもよし、
収益事業だけをやるもよし、
トントン事業をやるもよし、
ボランティアだけをやるもよし、

どれだっていいんです。

ただ

(こんなはずじゃなかったんだよね)

とだけは、ならないようにという自戒を込めて。

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