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あやかしと柳ぎんと町娘(短編小説)

「きゃひゃひゃひゃ〜」
椿が声のする方を見ると、柳ぎん(やなぎん)がの廊下や庭木に飛び回っている。

柳ぎんは床に写った青や青紫やピンクのまだらの大きな姿のない陰影が、素早く動くのを追いかけている。床に映ったと思ったら、庭木の幹に移動して、また、家の屋根に飛んでいくのを、奇声のような笑い声をあげて、追いかけとびうつっていく。

椿は、あやしい陰影を追いかける柳ぎんをボーっとして、家の廊下の欄干に寄りかかって何となく目で追っていた。

椿はここのところずっと何か熱に浮かされたように意識がもやもやとしていた。頭がのぼせて、暑くて、汗をかくほどではないが、ずっとボーッとしていた。のぼせた椿の顔は、透き通るように白く美しい肌だったのを常に赤らめて、妖艶に変えた。そして、ボーっとするので足もとはおぼつかず、よくつまづいて、街を歩く椿がつまずいて支えようとした男は、至近距離でその妖艶な椿に見つめられ誘惑されたと勘違いした。体調の異変でよくつまづいて、街中で助けられることが増えた椿はその相手がことごとく後日求婚に家を尋ねて来られるのにうんざりしていた。

「いったいわたくし、どうしてしまったんでしょう」椿は街から出ることが億劫となり、家でボーっとしていた。

すると、飛び回っていた柳ぎんが、いつのまにか椿の隣に来て言った。
「よだれがながれちまってますぜい」

柳ぎんが椿のほほから首にかけて指をのばし、そのよだれに触れた。

「え?」
急に至近距離に現れた柳ぎんに椿は驚いて目を見開いた。

「ちょっとしつれい」
柳ぎんはピンクやグレーやところどころ水色でまだらで毛先が金色の派手な頭をしていて、着ている着物も頭と似たような色合いで、胸元は着物がはだけて見えており、裾がひざぐらいの丈でずたずたに切れていた。下駄をコツリとも鳴らさず、椿の横に立っていた。

椿は柳ぎんの顔を見たことがなく、この時初めて顔を合わせた。
柳ぎんはその派手で奇妙な風体とは似ても似つかない美しい顔をしていた。大きく眼差しの強い瞳と口角がギッと上がって笑う口、厚めの唇。ずっと伸びた意志の強そうな眉毛。そしてその瞳が紫と青のオッドアイだったことにまた瞳を奪われた。

「まえ、向いてくれい」
「あ、はい」
椿は胸の高鳴るのを感じながら、かけられた声にびっくりして前を見た。

柳ぎんは袂から耳かきのようなスプーンのような匙を出した。匙は、透明なトロッとした水をまとい、星屑のようにキラキラとしたものがその中で光に反射して泳いでいる。柳ぎんは反対の手で耳を軽く押さえて、椿の耳に匙は入れずに耳の横で耳かきをするような動きをした。

「ほれ、いいぜ」
「はい」

見ると、何かの缶詰がふたつ、わさびのチューブ、缶の蓋や、赤い指の長さほどの紐、など、粘液に包まれたものが欄干に並んだ。

「こんなものが私の耳の中に?」
「そうだ、呪いだ。赤い紐が痛みを隠す役割をしている。もう少しであんた死ぬとこだった」

柳ぎんが何くわぬ顔で言った。

「いつ、こんなに呪いをかけられちまってたんでい?」

「え?これは呪い?」
「ボーっとした顔して、生気行かれちまってたぜぇ。ぎゃひゃひゃひゃ〜」

椿は意味がわからなかったが、からだのほてりが消えたのを感じた。

「これを持っておけ。あんたを守る」

手のひらに渡されたのは、こまいぬのような龍のような顔をした、手で握ると隠れるほどの小さな木彫り。

柳ぎんが椿のはだけた胸元に手のひらをかざしてめをつむり、何かを短く詠唱した。

一瞬、風が起きて足元から強い逆風が起き、光に包まれた。柳ぎんがパッと瞳を開くと、ニヤッと笑って、また「ぎゃひゃひゃひゃ」と言って、派手な陰影を追って飛んで行ってしまった。

開いた手のひらには、木彫りが姿をなくしていた。

また次の瞬間にパッと気がついた椿は我にかえったようにまわりを見まわした。

「あれ?わたし、何をしていたのでしたっけ?」
スースーする胸元を見ると着物がはだけて、胸が見えそうなほど肩から落ちている。肩には木彫りとそっくりの刻印が赤く光って消えた。それには椿は気づかなかった。

やだ、何これ、
急いで着物で肌を隠し、部屋に入って障子を後ろ手に占めた。

椿の白い顔が赤く染まった。胸が高鳴り苦しくなった。
なんでしょう、これは。

まるで恋をしたかのような胸の高鳴り。と椿は思った。

椿はその場にすわりこみ、しばらく息を整えた。落ち着くとまた障子を開けて空を仰ぐ。

椿は何も覚えていなかった。求婚してくる男はぱったりと来なくなり、椿の顔色は元に戻った。以前のように街に出て行けるようになり、普段の生活に戻って行った。

しかしまた、その背中には赤い紐の呪いを帯びたあやかしが手を伸ばしていた。

赤い紐のあやかしは、遥か上空から、狙われているのに気づいていない。

「ぎゃひゃひゃひゃ〜
そいつはオレの獲物だぜ」

柳ぎんの声が空にこだましていた。




面白い夢を見たので、それを忘れないうちに妄想をくっつけて備忘録としたショートストーリー。


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