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WISC検査はすべての子にしたほうが学校生活は充実したものになるのでは??

娘が不登校になり、3年生の頃にWISC検査を受けた。
言語性IQが高く、処理速度、ワーキングメモリがやや低くその差は37だった。このテストを受けて、今まで娘のよくわからなかったことが、だいぶ理解できるようになった。同時に、娘には無理なことも要求していたのだと、悔やんでも悔やみきれない気持ちにもなった。もっと早く知っていれば、と強く思った。

数値が15以上開きがあると発達障害と診断されたり、本人が生きづらいという話を聞く。もちろんWISC検査だけではなく、成育歴などトータルで見る必要があるというのは大前提なのだが、本人の傾向はある程度つかめると感じた。

私の娘だけではなく社会問題として不登校は増え続けていて、型にはまった学校教育そのものが限界にきているという指摘もある。
娘が不登校の時、先生方も非常に努力してくださったと思うが、やはり学校の枠内での尽力なので限界がある。

不登校にならないまでも、苦痛を感じながらなんとか学校に通っている子もいるだろうと思う。友人が勤めている学校に、学業は問題ないのだが、体育などの着替えが毎回遅くていつも怒られている子がいるという。話を聞いているとその子は処理能力が少し遅いのではないかと思った。本当は怒るだけではなくてもう少し丁寧に先生が見てあげる方がよいのではないかと聞いているだけで胸が痛んだ。
こういう話を聞くとWISC検査は個人の能力の傾向がつかめるので、その子の才能を伸ばしたり、逆に苦手なことをフォローしたりする参考になるのではないかと思うことがある。先生も心づもりがあるのとないのでは、対応も違ってくるはずだ。知能検査が低ければ低いなりにそれに合った支援をすればよいし、高ければ高いなりの授業をするということはできないのだろうか。
それで、どちらが偉いという話ではなく、みんな違いを認め合うという教育こそ必要な気がするのだがどうだろう??

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