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重ねごとの力

「この幸せを社会にも」

これは長年勤務した会社の理念だった。
その頃の私はこの理念に対して
(私、全然幸せじゃないんですけど・・・)
なんて思っていたんだから罰当たりだった。

今、修行をしていて時々思う
「この幸せを社会にも」と。

人に分けたいほどの幸せです、
と言っているわけじゃなくて、

朝晩、神棚と仏壇に
お給仕しながら神仏に手を合わせていると
今朝、ただ目覚めたことが
今晩も、無事に帰宅したことが
本当に幸せなだという感性が育つ。

日拝をしていると
晴れた日の日差しにも
曇っている日の雲にも
雨や雪が降っていることにも
その自然の循環による恵みに感謝できる。

「古神道は超科学」
と師匠が仰るとおり、
この、日拝の効果はすごい。

精神を病む人への効果などもあるし

日拝すれば
水が7割を占める肉体に
宇宙アカシックからの情報伝達(直感)
が行われると言える学説がある。
「第4の水の相」だ。

(エイズ発見でノーベル賞を贈られた
リュック・モンタニエ博士が
2つの試験管の水で
DNAテレポーテーション実験を成功させた際
地球のシューマン周波数と
光が必要条件だったということで
光(主として赤外線)によって
エネルギーが充電された。
水はこの条件が揃った時
情報伝達とエネルギーの貯槽・変換を
可能にしていることがわかった。)

これを、
戦前の日本では
ほどんとの国民が当たり前にしていた。

自分はひとりじゃなくて
ご先祖様と神々の守護のもとに在ることや
お陰様の心を
生活様式の中で自然に育んでいた。

修行し初めの頃は
お経読むのにも時間がかかるし
お給仕してたら遅刻しそうになるし
正座してると痺れるし
苦行だった。

でもそれがすっかり習慣化すると
苦でもないし、
やり続けている自分への信頼ができて
自信の源になる。
神仏を大切にしている自分を
大切に思える。

何のためにやるかなんて考えずに
やってみてわかるまでと思って始めて
続けてきて良かったと思うから

戦前のように
日本人みんなが
朝晩、神仏という
目には見えない尊い存在を意識して暮らせば
祈りの力とともに
日本人がまた強くなると思う。

生活様式の中にある
習慣・重ねごとがつくる強靭さを
もっと取り戻していけば
自然に社会の幸福度も増す。

だから、
この幸せを社会にも
と、願う。




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