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パキスタンとインド~民族衣装がつむぐ絆~

7月8日から12日までの5日間、京都府長岡京市勝龍寺にて
アート展が開催されました。

筆者がこのお寺に招かれて2年。
地域アートプロジェクトの一環として、色と形によって喜びを得られるような体験活動を提案させていただきました。

本回はパキスタンとインドの民族衣装体験会を開催しました。

筆者自身、音楽と絵画の融合をテーマに制作しているため、展覧会や音楽活動の場で着るためのお衣装を常々収集しているのです。

パキスタンとインドのお衣装を提供してくださるのは、
インド出身のラジア・カトゥンさん。
日本親善大使の母を通してお洋服を購入したのが
出会いの始まりでした。

民族衣装バイヤーであり、4人の子の母であり、
イスラム寺院の祭司の奥様でもあられるラジアさん。
仲良くなるに連れて、彼女の願いが語られる機会も多くなりました。

「日本の皆様に現地職人の伝統の手刺繍を伝えたいのですが、どう伝えたらよいか分からないのです。」

その願いが1つのカタチになるまで丸2年。

初めは、収集したお衣装を自分自身がモデルとして身につけていました。

近所の明治の建物を背景に夫に撮影してもらった写真

しかし、その良さをうまく広げていくことができませんでした。作家とバイヤーの間で陥りやすい問題点は、目利きができる専門家や富裕層の中だけでアートが循環するというところです。つまり個人同士の売り買いを通した伝統の継承には限界があるのです。

「職人の手によってあしらわれた美しい手刺繍。これを個人の所有物としてクローゼットに眠らせておくのではなく、
身にまとう人が増えてこそ、作り手の想いに応えられるのではないか」

モデルになってくれたママ友だち りえさん

そう思案していた頃、勝龍寺に嫁いだ友人KAMICOさんが

「お寺の仲間と衣装を共有してはどうか。」

と声をかけてくれました。決まってしまえば、イベント発足までそう長くはかかりませんでした。提案から約2か月で
民族衣装体験会のビジョンが叶ったのでした。

モデルになってくれた大学生のさくらさん

老若男女、世代を問わず身体に馴染むお衣装は
心にも浸透していくようでした。

参加してくださったご婦人たちの中から、

「次の体験会が待ちどおしい。購入は可能かしら 。
これを着て友だちとホテルでランチして、夜はコンサート!」

という嬉しい声も聞かれました。

人々が身体を彩ると、自然と街も彩られ、社会が潤います。
1950年代終戦直後の女性誌が記していたように、
ファッションはどんな逆境の最中でも生きる活力を与えてくれるのです。ただ、ファッションを楽しむだけでなく、体験してくださったお客様との対話から先人の想いも探ることが出来たのでした。

1950年代ファッション誌

同時に、お寺という土壌でこのようなアートの種まきができることに感謝し、恵み溢れる一日となりました。

キリシタン細川ガラシャゆかりの寺 勝龍寺

【パキスタンとインドの関係とアートの力】

パキスタンとインドの関係については下記のような歴史的、政治的背景がありますが、アートは文化、宗教という垣根を超え、さらには役職や肩書きの視点を人格から切り離し、完全に人と人の本来あるべきアイデンティティ、愛ある交わりへと導いてくれます。アートはそういった意味でも敵対国同士の良き仲介者と言えます。

とりわけ、ファッションというドレスコードは人の心理に大きな解放をもたらします。連帯感や協調性を生み出すものから独自性のあるものまで、未知なる自分を引き出すツールとなってくれます。これは、実際にアートセラピーを医学の治療として世界で初めて導入したブラジルの精神科医二ーゼ氏が説いたものでもあります。

これからも出会った皆様に、気軽にアートの時空間を楽しんでいただくとともに、必要としている方には行動の根源にある心理も交えながらお話させていただければ幸いです。

〜パキスタンとインドの関係〜
歴史的、政治的背景をみると、パキスタンとインドは複雑な
敵対関係であり、両国の関係をまず決めたのは1947年の強引なインド・パキスタン分離独立であり、それによってカシミール紛争が始まったほか、両国間では印パ戦争など何度もの紛争が起き、その結果両国の関係は敵意と疑念に包まれている。北インドとパキスタンは、人口構成や共通言語(主にパンジャーブ語とヒンドゥスターニー語)において多少重なる部分がある。 

Gallery〜みんなのポートレート〜

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