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ドイツより友に叱るる鷗外忌

これは6月のある句会に出した句。その時「何を叱られたの?」と質問する方がいた。「人間の尊厳のようなものについて」と答えたと思う。
実際のところは、叱られたのではなく、諭された気がしたので、自戒の気持ちも込めて詠んだ句であった。
その中身は、親の介護のスタンスである。
ドイツで仕事をしている友人は、自身の母親が骨折し、その後リハビリがうまくいっていないことを異国でキャッチして、仕事の調整を苦労して行い、ちょうどこの頃、緊急帰国していた。帰国して日々のマッサージや足湯などのケア、毎日のリハビリなどを自分で組み立て、献身的かつ渾身の力でケアした。その甲斐あって、お母様は見事に自力で歩けるようになったとのこと。
そう、介護の基本は、その人の残存能力を引き出すことだから。
この行動の背景には、自身の母親へのリスペクトと、欧米で培った、個人の生き方、尊厳に基づいた、終末期の考え方がしっかりとあるからと、聞いた。
私は、毎週、実家に帰って、家事やら老親の世話やらしているが、自分が介護をしてあげている感が強く、いつも不機嫌で、鼻持ちならない奴になってきているなあと思う。
この時も反省したくせに、今日もまた同じようなことが起こり、自戒も込めてここに書かせていただきました。

ちちははとひとつの氷菓分けあふて
  

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