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与えて自己満足としますか?

毎週日曜日に通っている教会経由で
提携しているNGOのボランティアに
時々に参加しています。
と書くと、凄く偉そう?ですが、
自分ができる事を出来る範囲で、
無理をしないでお手伝いをしています。

これは香港のデモやコロナ禍の前の話です。

当時教会と提携していたNGOの依頼で、
香港の軽度知的障害者の方々とハイキングに行きました。
参加者それぞれ、レベルが違うと思われますが
基本的に彼らは作業所に自力で通うことが出来、
意思表示も出来る、大人の方々。

路線バスに乗り北角の先で降りて
寶馬山(ブレーマーヒル・Braemar Hill)を目指しました。
普通の大人の人なら直ぐに歩けるコース。
大勢ということもあり、外れない様に、慎重に歩き
無事に到着して戻ることが出来ました。

途中逸れないように、
ボランティア一人に付き一人ずつ組になり、
手を繋いで歩きました。
参加する前は、コミニュケーションに不安がありましたが、
ゆっくりとした広東語の会話で、楽しく過ごす事ができました。
そして、しっかりとエスコートをして頂き、
自分は与えるのではなく、与えられてると実感しました。

ボランティア活動は、普段の仕事や生活とは違う場面に遭遇するので
思わぬ自分を発見する事も出来ます。

しかし、ボランティア=可哀想な人に施す崇高な行為的な考えには
もやもやした部分を感じます。

自分の正義を確認する事で終わるのではなく、
結構気がつくことや与えられたと感じる事があると感じます。

この時は割と軽めのボランティアでしたが、
この後も別の話が続きます。

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