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スペースに出演しました


先週末、石井大智@Daichi_Ishii さん
X (Twitter)スペースに音声出演しました。
録音を聴くことができます。

内容については、noteで書いております、
1989年上海日記についての
色々です。

途中から、同時期に北京に留学された
けろっと@kerotto さんもお話に参加されました。
当時の北京の生々しい状況を、今回初めて知ることができました。

六四体験をネットで語る事について、
周囲の方々からご心配をおかけしましたが、
「中国の事よりも、在留邦人に対しての、
日本政府の対応の不甲斐なさの方を、語る方が多いので、
大丈夫」と答えましたが、
案の定その通り、それ以上の内容になりました。

石井さんは2019年、香港中文大学大学院留学中に
中文大学衝突に巻き込まれ、危険な目に遭遇しました。
つまりこの日にスペース出演の3人の共演点は
留学中に有事に巻き込まれた」でしたが...。

けろっとさんのお話によりますと、
1989年5月、北京に戒厳令発令後、
欧米先進国の学生達は既に中国を出国、
対して在北京日本大使館からの反応は、
「留学生名簿の提出をお願いします」程度と、反応が遅い状態。
6月4日過ぎも当初は、日本大使館員が学校に来て、
今回について日本政府からは、今のところ何もしません」の
仰天発言。
しかし流石に酷すぎると大使館も察したのか、
数日後に臨時便で強制帰国。
荷物は殆ど置いたまま、空港行きのバスに乗車。
しかも北京首都空港到着後も、
混乱の極みだったそうです。

石井さんが2019年中文大学衝突発生時に、
在香港日本総領事館員から、
今回について日本政府からは、今のところ何もしません」の
こちらも仰天発言の連絡。
既に、中文大学に留学の日本以外の留学生達は、
次々と帰国。
日本人だけが取り残されそうな中、領事館に強く訴えて、
やっと空港までのバスを手配して頂いたとの事。

上海で六四に遭遇した私も、領事館からの連絡は遅く、
西側諸国の学生達は早々と中国から出国し
留学生寮には、日本人と北朝鮮人学生だけが残された後、
混乱の中、航空券を購入して
自力で帰国しました。

上記から言える事は

海外滞在中に有事に遭遇しても
日本政府の対応は大変遅いです。
或いは何もしません。自力で脱出です。
他の国の人たちが次々と現地から脱出した後
やっと重い腰を上げて、対応がある(かもしれません)。

何かあった時、どうやって自力で脱出できるのか?
イメージくらいはしておいた方が良いと思います。


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