平日の午後8時半

子供たちがお風呂に入っている。お風呂でおぼれやしないかと心配してたのはいつまでだったか。今では自分たちで湯船に入って、シャンプーして出てこれるようになるなんて。上の子が生まれてしばらくは、このふにゃふにゃとした赤ちゃんが、一人で立って歩き自分のことを自分でするようになるまで私の自由と言うものはないのだと、それはまるで永久に、みたいに思ったのにな。

今日はパートが休みだった。夏休みどこに行くでもないし、昼ごはんを近所の子供の友達とお母さんと食べようと、弁当の宅配を頼んだ。そのお母さんとは同じパート先で、いろいろたまってるうっぷんを2人でぶあーと出す。ゲラゲラ笑って蒸発させてる気がする。子供達はトランプやもじぴったん、お絵かきをして、飽きて外に行くけど暑過ぎて帰ってきた。

コロナのせいで旅行のない夏休みになってしまう。つまんないなーと思う一方、自分の子供時代は貧しかったので旅行なんて、行ったことがなかったな、今は幸せだなと思う。子供の頃の夏休みの思い出は、9歳の時、13歳の時、16歳の時に父の田舎の米子に帰ったことを覚えてる。

あと10歳の時、父の仕事の人たちと一泊でいったどこかの宿。その職場の旅行みたいなやつは母は行かなかった。なぜかな。兄と私と父だけだった。兄と座ったソファが、シミだらけだったのか心霊写真みたいになってたのを覚えている。心霊写真だったかもしれないけどね。川に入ったことは覚えてるような覚えてないような、何も覚えてないに等しい。旅の楽しみ方を知らなかったんだろうな。

父の里は米子と、親戚が境港にいるので、大人になってから1人で行ったり友達といったときに泊まらせてもらったりした。山陰はとても好き。親戚もみんな好き。中でも出雲大社が大好き。住みたいかというとそれはちがう気がするんだけど、行くと大きな力をもらえる気がする。気がするだけだよ。もらってるのかもしれないけどね。

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夏の思い出

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