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アタシックレコード~私的備忘録(2)~

昭和備忘録(2)

働く女性と専業主婦

昨今、女性の社会進出ということで、
『女性が働くこと』
当たり前になっているように思えます。
要は、『共働き』が定着している。
そういう感じかと思います。
人それぞれなので、何ともいえませんが、
もし、私が女性だったら、
断然、『専業主婦』を希望します。
もちろん、結婚後の話で、
いい嫁ぎ先や婿が見つかればですが…。

私の、母は『専業主婦』でした。
と言っても、
子供が手がかからない状態になると、
パートには出てはいましたが…。
私が中学生の頃には、
パートとして働いていた記憶があります。
ただ、学校から帰宅する頃には、
家に居たので、
短時間のパートだったように思います。

考えてみると、
私が子供の頃(小学生)の時代、
『専業主婦』は、
かなりの重労働だったように思います。
まだまだ、不便な時代だったので、
いさ仕方ありませんが、
『昭和の時代』では当たり前のことでした。
記憶を頼りに、当時の、
我が家の主婦業を書いてみます。

昭和の主婦業(我が家の場合)

朝は、そこそこ早いです。
朝食の支度と父の弁当作りから
一日はスタートします。
ちなみに、米はガス炊飯器で炊いていました。
朝食を終え、皆が出払うと、
朝食の後片付けと布団たたみ。
天気が良いと、もちろん布団は干します。
それが終わると、洗濯です。
洗濯といっても、洗濯機はなく
洗濯板とたらいを使った手洗い。
かなりの重労働となります。
それが終わると、掃除。
もちろん、風呂掃除も含みます。
それが終わると、自由な時間となる訳です。
(雑事がある場合はこの時間が削られる)
午後は、またまたハードワーク。
布団や洗濯物を取り込んで、キチンとたたむ。
その際、アイロンをかける場合も…。
それが終わると、買い物へ。
買い物といっても、
当時はスーパーといったモノはありません。
八百屋、魚屋などの単独の店舗です。
とはいっても、八百屋のとなりが魚屋でしたが…。
ちなみに、『たまご』だけは、
近くの『養鶏場』にしか売っていませんでした。
今にして思うと『謎』なのですが、
当日の産みたてホヤホヤが手に入る訳なので、
それはそれで良かったとは思います。
余談ですが、
この『養鶏場』の横に
ちょっとした広場(はらっぱ)があったのですが、
ここは、ヘビが頻繁に出没する場所でした。
今にして思うと、
エサとしてのたまご狙いだったとは思いますが、
子供たちの間では、
危険地帯という認識で、近寄りがたい場所。
いわば禁足地的な扱いでした。
話を戻します。
基本的に、平日の買い物はほぼ毎日でした。
この買い物が、社会との接点で、
俗に言う『井戸端会議』の場となります。
毎日の理由は、
こういう要因もあったりする訳です。
買い物から帰ってからは、
風呂の支度となります。
当時の我が家は、『薪風呂』だったので、
湯を沸かすために、薪が必要でした。
なので、薪割りが必須となります。
毎日ではありませんが、
ナタを使って薪割りするのは、母の仕事でした。
手伝うことを進言したことはありますが、
子供には危険ということで、
却下された記憶があります。
風呂の湯を沸かし、
食事の下ごしらえを済ませると、
順番に風呂に入ります。
その後、夕食。
そして、後片付け。
テレビなどを観ながら、ゆったりした後、
就寝といった感じでしょうか。
ちなみに、小学生の時の就寝時間は、
夜の9時が基本でした。
年がバレてしまいますが、
水曜日はドラマ『ムー一族』、
木曜日は『ザ・ベストテン』、
土曜日はドラマ『Gメン75』を観るため、
この日だけは、
頑張って夜の10時まで起きてはいましたが…。
でも、かなり眠かった記憶があり、
睡魔と戦いながら視聴していました(笑)
土日や祝日など以外は、
ほぼこのルーティーンだったと思います。
もちろん、これは小学生くらいの記憶なので、
それ以前には、
プラス『育児』ということになります。
そういうことを考慮すると、
『昭和の専業主婦』は、
なかなか大変だったように思います。

当時は、たまごは養鶏場でしか販売されていなかった…(謎⁉️)


私見(極論かも…)

今では、生活も便利になり、
ボタン一つで手間なくできることが多くなりました。
そう考えると、
『専業主婦』の仕事も、『昭和』に比べて
良いカタチになったのではないでしょうか?
本来、『主婦業』はそれほど『楽』ではありません。
ましてや、『育児』も並行してやるとなると、
それなりに負荷がかかります(特に精神的に)。
よく、『専業主婦』イコール『楽』
という公式で考える人もいたりします。
確かに、そういう面もあるにはありますが、
『昭和時代の専業主婦』を知る私にとって、
『楽』というより『快適』になった
というイメージです。
人には事情というモノがありますので、
『共働き』という選択肢しかない場合もあります。
気の毒だとは思いますが、それもまた人生です。
だからと言って、
『専業主婦』を肯定できない。
ましてや、否定するのは、
論点がズレているように思います。
どういう選択し、どう生きていくのかは、
個人個人が決めること。
ただ、『専業主婦』が『仕事』をしていない、
『楽』をしている。
という認識は間違いだと思います。
『次世代の人間をキチンと作り、家庭を守る』
そういうことに特化しているだけです。
この土台があるからこそ、
社会が健全に成り立つモノだと
個人的には考えています。
『主婦業』も立派に『社会貢献』している訳です。
「女性の社会進出」、
「女性も仕事で活躍する」
大いに結構。大賛成です。
でも、だからと言って、
「働かないのは悪」、
「単純に楽をしている」、
「働かないのは社会に貢献していない」
この考え方は、ちょっと違う気がします。
『主婦業』も立派な仕事です。
お金には直結していませんが、
家庭のための環境づくりには大いに貢献しています。
それが結果的には、社会に還元されている。
そういうモノです。
組織に属して仕事をすることだけが、
働いている証なのでしょうか?
「私は専業主婦です」
ということが胸を張って言える社会が
本来、健全といえる。
そう思うのですが、
最近の風潮はそう簡単ではないようで…。

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