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元鑑定師の有難・迷惑な本音(思考の重要性)

思考する(考える)こと

『人間は考える葦(あし)である』
かの有名な哲学者、『パスカル』の言葉である。
一応、意味を表記しておく(ネットより流用)
「人間は自然の中では
一本の葦のような植物(弱く細い一本の草)で、
非常に脆弱な存在である。
しかし、人間は頭を使って考えることができる。
考えることこそ人間に与えられた偉大な力である」
と書かれている。
要するに、
「無力で弱い人間の最大の武器は、思考である」
ということ。
確かに、その通りだとは思うのだが…。
みなさんは、日々、思考しているのだろうか?

思考停止の世界


最近、よく思うのだが、
思考停止状態の人が多いように感じる。
というか、
思考が停止している人が圧倒的多数である。
普通に考えれば、かなりおかしい事が、
何の違和感もなく、話題にも上がらない。
要するに、
「おかしいことに気づいていない、気づけない」
そんな世界である。
個人的には、
『かなり狂った世界』だと思っているのだが、
それはそのうち、おいおいと…。

知識と情報について


世界を知るためには、知識と情報が不可欠となる。
この要素が大事なのだが、
今の状況だと、どちらも欠落している感じがする。
欠落なら、学習し、知見を広めればいいのだが、
厄介なのは、中途半端な状態。
ムダに知識があり、情報が偏っている。
こういう場合、非常に難しいことになる。

普通の人は、日々忙しい生活をしている。
一日の大半を労働に従事し、
休みは、接待や家族サービス。
こういうサイクルでは、
自分の時間を取ることもままならない。
ましてや、知見を広めることなど、不可能に近い。
仮に時間があったとしても、
自分の趣味や娯楽を優先してしまい、
じっくりと考える、しっかりと勉強する
といった行為は二の次になってしまう。
一応、社会の動向を知るということで、
マスコミから発信された情報を頼りにする訳だが、
これも一時的に記憶するだけで、
深掘りして自分なりに考えることは稀であろう。
そうなると、
じっくりと考える、深く考察するということを
できない状況にあるように思える。
というか、そういう状態にさせられている?
そう考えるのが妥当である。

日本人はある意味、純真で真面目な民族だと思う。
裏を返すと、お人好しで騙されやすい。
そういう訳で、
マスコミ(テレビや新聞など)で発せられたことが、
真実だと思ってしまう。
確かに、その部分も少なからずあるのだが、
すべてが善意の元で行われている訳ではない。
マスコミも企業である。
企業は利益追求を是とする存在だ。
それ故に、
金と力には従わざるを得ない場面も出てくる。
そういうことがわかっているなら良いのだが、
なかなか難しいモノである。
情報は最大の武器となりうる。
その情報を操作・誘導されていたら?
と考えることは、普通のことだと思うのだが…。

近年、インターネットの発達により、
情報の量が
指数関数のグラフのような状態になっている。
そういう中で、いかに正しい情報をゲットするかが、
重要なのだが、もはやそれも難しい…。
何が正しくて、何が間違っているか
ということを精査しにくい状態だと思う。
厄介なのは、正しい情報にウソが混ぜてある。
こうなると、もう何が何だかわからなくなる。
そうなると、「考えるだけムダ」
という発想になってしまうのも、わかる気もする。
ことさら、情報を精査しなくても、
多数派の意見に同調していれば、生きてはいけるし、
その方が楽だし、何となく合理的でもある。
そういう思考の積み重ねが、
『思考停止状態』につながっているように感じる。
権力者や支配者階級の人たちにとって、
「とても都合の良い世界の出来上がり」
となる訳である。

思考すること(考えること)は
かなりエネルギーを使うモノ。
なので、日々忙しく過ごす多数の人にとって、
思考しない(考えない)方が楽な訳で、
多少の生きにくさがあったとしても、
こちらに流されてしまうのも必然かもしれない。
そうなると、
冒頭に引用した『パスカル』の言葉は、
今の世の中にはとても重要だと思う。
思考しない葦という植物に成り下がるのか、
思考する人間であり続けるのか、
選ぶのはあなた次第
といった感じなのかも…⁉

世界の真実?

おまけの個人的見解


余談ですが、ここで個人的な見解を…。
あくまでも、個人的な考えなので、
賛否はあると思いますが、ご容赦のほどを…。
(文体も丁寧な、ですます調に変えます)

人間というモノは
案外、愚かな生き物です。
知っていそうで、実は何も知らない。
そういうモノです。
要するに、知っている、知っていた
と思い込んでいるだけ。
真理や真実なんか、これっぽっちもわかっていません。
もちろん、賢人といわれる人の一部には、
真理や真実に近づき、
気がついた人もいるかとは思いますが…。
もちろん、ごく限られた人たちは、
ある種の秘密を隠していると予想されます。
個人的には、この世界の真実は、
思っている以上にファンタジーの世界
だと思っています。
『色々な可能性のある世界』
そう表現できると考えています。
言い換えれば、
『あると思ったらある、ないと思ったらない』
こういう世界だと推察しています。
この場合、人類の総意が決定の是非を左右している。
要は、みんながあると思えばある、ないと思えばない。
本来、自由な世界なのですが、
あまり自由にされても秩序が保てない。
そこで、縛りが必要となります。
その縛りが『科学』ではないかと考えています。
よく、真実性ということで、
『科学的な根拠の是非』で判断されます。
『科学的に証明できたら真実』
そういうルールで
世の中は均衡を保っているのではないでしょうか。
個人的には、
「科学は一種の宗教」と考えています。
というのも、科学というモノは、
『一つの仮説』だと思うからです。
例えば、宇宙や地球の断面が掲載された
科学雑誌があったとします。
それは、一つの仮説であり、
実際、誰かが確認した訳ではありません。
データなどを集めると、こうなる。
といった一つの仮説であり、
実際はわかっていない訳です。
「多分こうであろう、データからだとこうなる」
という具合で、推察しているにすぎません。
ただ、一定のルールや法則があると、
便宜上、問題がなくなりますし、
一つの指針としてはとても便利です。
しかも、その法則をみんなが信じてしまうと、
世界はそのルールを適用し、
法則が存在する世界に改変されます。
(あると思う世界になる)
そんな感じではないでしょうか。
科学というモノが一種のくさびとして機能する世界に
誰かが改変したように思います。
なので、
全世界の人が「魔法が存在する」と確信したのなら、
魔法がある世界へと改変される。
これが、世界の真理のように思うのですが…。
人間の思考と願望(信じる力)は、
世界を改変するすごい力がある。
個人的にはそう思っているのですが、果たして…。
とりあえず、
植物化(ロボット化)にならないように、
『考える葦』であることを望みます。
思考することで、
真実の世界が少しだけ見えてくるかもしれません。


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