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平坦な戦場で僕らが生き延びること

私は去年の7月から小山田圭吾さんの報道の問題を追いかけている。

私はCorneliusの1リスナーでしかなかったのだけど、何かあの騒動がとても自分に無関係とは思えなかった。

ワイドショーに映るロッキングオンJAPAN、クイックジャパンは私の高校時代の愛読書だった。

JAPANはリアルタイムで読んだわけではないけれど、小山田君が赤い表紙のクイックジャパンは当時読んでいた。

内容は曖昧にしか憶えてなかったけれど、私は小山田圭吾に悪い印象は無かった。

村上清さんの「いじめはエンターテイメント…どうせイジメはなくならないんだし」ってセリフだけが強く印象に残っていた。

私はとにかく報道に違和感があった。

InstagramのCorneliusオフィシャルのコメント欄を見た。Twitterのコメント欄も見た。

そこには障害者の身内がいる許せない。虐められた事がある許せない。という言葉がひたすら並んでいた。


私には虐められた経験がある。

弟が障害者なので障害者への差別には凄くダメージを受けてしまう。


私は中学生の時に遠い地に転校したのだけれど、少しも馴染むことが出来ずにクラスのどこの輪の中にも入れずにいた。

極度の人見知りだったせいだ。

うちの親は転勤族だったんだけど、

私は幼い頃最初に引っ越した時に割と身体的なハードなイジメの洗礼を受けた。

引っ越してきて直ぐ10人ぐらい大勢の子供達に歓迎と称して砂場に連れて行かれて、思いっきり噛まれる砂かけられる、しまいにはパンツの中まで砂まみれボロボロにされた。

あのパンツの中の感触を憶えている。

4歳の頃だった。

同じ歳の子から小学生のだいぶ大きい子達までいた。逃げようもなかったし、誰も助けてくれなかった。

未だにこう書きながら泣きそうになるのだけれど、

当時の幼い私はその時にびっくりしすぎて上手く泣くことが出来なかった。

その後幼稚園に入園はしたものの、幼稚園に馴染めず、直ぐに行かなくなった。

その幼い時の事件が私の性格形成に思いっきり影響しているのは間違いない。

今思うとあれは80年代暴力に溢れていた時代だった。スケバン刑事なんかが流行っていて私もオモチャのヨーヨーを持っていた。

母親によると最初の引っ越しをする前までは私は明るくてユニークな子供だったらしい。

私の弟は600gぐらいの未熟児で産まれてきた為、身体に障害があり幼い頃は病院やリハビリ施設に通院していて私はいつも付き添っていた。

インクルーシブなんて言葉最近まで知らなかったけど、私はリハビリ施設なんかにいつも居て弟よりも重い障害の子なんかを観察したりたまに遊んだりしながら過ごしていた。

中学時代

一人も友達を作らず学校で一言も発さず、過ごした。

こそこそ聞こえる陰口言われたり、体操服隠されたり物を捨てられたり多数決でマラソン代表に選ばれたり

そういう類のイジメを受けた。

親が厳しくて学校は遅刻してでも毎日行かされたんだけど、修学旅行だけはどうしても行けないと行って話し合いの末辞退した。

友達の居ないいじめられっ子にとって修学旅行なんて地獄でしかない。

中学時代のイジメアンケートに当時の私は

いじめなんて、いじめられる方にも問題あるから仕方ない

って書いたんだ。

担任に呼び出されて、あなたがいじめられているという声が上がっているんだけど、何故こんな事を書いたんだ?と

問い詰められたけれど、

答えなかった。

「くそくらえ綺麗事言うなよ」と心の中で思っていた。

「どうせイジメなんてなくならないんだし。」

そうあの時の私はそう思っていた。


相談してあげてるのにその態度はなんだ?…とその後その担任から私への風当たりは強くなった。

そんなもんだろう…

そこの中学校は卒業しないまま転校して私の暗黒時代は終わったんだけど。


他人に期待してなかったし、学校なんてどうでも良かった。一人で映画館に行ったり音楽漁ったり、本読んだりひたすら一人で趣味に没頭していた。

高校生の間はLIVEと音楽と雑誌が生き甲斐だった。その内音楽の趣味が合う友達が出来たり、雑誌やアート好きな友達が出来たり少しづつ社会と融合出来るようになっていった。

あの引っ越しが無ければとか、転校しなければとか、死にたくなるような絶望感を子供の時からいつも抱えていたけれど、

私はロッキングオンJAPANのミュージシャンの壮絶な人生やら、トラウマやら、

クイックジャパンの宗教、いじめ、病、山田花子、自殺マニュアルやら

読みながら自分の人生を昇華していったのだった。

ロッキングオンなんてティーンエイジャーを騙してる雑誌だよ。だっせー。

って馬鹿にできるぐらい大人になったけれど、

あの頃の私はそれに救われていたんだと思う。


そんな私も小学生の頃いじめっ子と言われた時期がある。

虐められていた相手の子とは個人的には色んな確執があったのだけど、クラスでの仲間外れとか言葉的なイジメだった。

小学校の卒業アルバムに入る文集に、人権について。とかいうタイトルで、私はイジメをしてしまいましたとか書いた。 

というか書かされた。(私以外にも何人か書かされたと思う。)

私はイジメた側なんだけど、その卒業アルバムが重すぎて開けない。

イジメをした方なのに大きな傷となっていて開けないのだ。

一生残る卒業アルバムに、イジメの反省文が載っている事。その重みをずっと感じている。

何十年経ってもだ。

(私にも子供が居るけれど、卒業文集の内容は今は親の校正が入る。イジメの反省文なんて書かされたら大問題になるだろう。)

小山田さんはあのイジメのインタビューをずっと掘り起こされネットミームにされ水面化でいつも叩かれていた。

ずっと長い間重いシコリとなっていたと思う。

それを思うと胸が張り裂けそうになる。

あのJAPANのインタビューもいじめ紀行も世に出たのは問題だったと思う。

間違いだったと思う。

色々な人達を傷つけた。

コーネリアスファンも虐められた経験がある人も傷ついた。

だけど一番傷ついているのは誰だろう。

小山田さんの謝罪文を読んでみてほしい。

私はCorneliusのこれからの活動に期待をしているしずっと応援している。










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