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太陽と月と、子どものパワー。と伝えたいこと

先日、ひろい場所で、とき放たれた子どもたちをみていた。

いちばん小さい子で、1歳半くらいかな?
よちよち歩きより、もう少し歩きなれてきたくらいのトコトコ歩き。
そのトコトコ歩きで、元気いっぱいに走りまわるお兄ちゃん、お姉ちゃんたちのあとを夢中で追いかける。

いちばん大きい子で、5歳くらいだったかな。
合わせて4、5人の子どもたちが、ひろい空間を思いっきりかけまわっていた。

丸く円をえがきながらグルグルとひたすら走りまわる。
飽きるようすなんて少しもみせず、どの子も心から楽しそうに笑いながら。

あのいちばん小さな子も、ぜんぜん追いつけないのなんて気にせずに、満面の笑みを浮かべながらひたすらトコトコ。

その情景を見ながら、わたしは「ああ、子どもは太陽だなぁ」と思った。身体からあふれだすキラキラした光のような、ちっちゃなケモノのような弾けるパワー。

*****

西洋占星術では、0歳から7歳までの子どもをあらわす象徴は「月」とされる。

月がしめすのは、自分の意思でものごとを決める力をもたず、まわりの大人に身を委ねざるをえない、受け身で頼りないともいえる子どもの一面だ。

たしかに現実の生活については、子どもはまったく月だろう。

*****

けれども子どもは、ただ月だけの存在とはいえない。

空で輝く太陽のしずくのような生命力。地上の身体に宿ったばかりのみずみずしさを、そのままに体現してもいる。

太陽と月。その交わりのなかに人は生まれ、自分の内にも、その光と陰とを宿して生きる。

天にあればただ純粋な生命のエネルギーが地上にとどまるとき、その器として、かならず何らかの地上的な物語を必要とする。

彼らはどんな物語をえがくのだろう。どうぞ今のままイキイキと過ごしてちょうだいね。

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とまあ、ただ走りまわる子どもたちを見つめながら、こういう思いが浮かんできてしまうのですが。

宇宙というしくみのなか、占星術というモノサシを使いながら見つめる、人という存在の興味ぶかさよ。といつも夢中になってしまう。

太陽と月の交わりのなかで生まれた子どもたちよ。

ある意味、物質と時間による制約をさだめとする地上の物語のなか。

ここで豊かに生命の可能性を育むには、身体感覚にもとづいた知性と、感性とをぞんぶんに磨くことですよ。そしてイキイキと自分を感じられる実体験をたくさん重ねていくことですよ。

と心のなかでつぶやいたりする。身体感覚は生命のプログラムからのメッセージだからね。


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