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理想のイメージと私の本心とのズレに気がついた話

先日、友人たちと話していて、わたしに対して、”手間ひまをかけた丁寧な暮らし方がしたい人”、というイメージをもたれているのに気がつきました。

土鍋でご飯をたき、古い小道具を手入れしながら、不便さも楽しみつつ使っているような。

そういわれて「そうかなぁ」と考えつつ、よくよく気持ちを感じてみたら、実はそうでもないなぁと。

いえね、古民家カフェなどすっごく憧れます。古道具を生活にとりいれてレトロな雰囲気をただよわせ、焼き物をさりげなく日々の暮らしのなかで使う。

「そういう暮らし方をしたい」と、そういうお店にいったときには口にする。なんとなくだけれど本気でそう思いこんでいたところもあるかしら。

けれど、あらためてじっくりと考えてみると、わたしは現代的で機能的な道具も大好き。むしろそういうものを上手につかって快適に生活したいというのが本音だなぁ。

自然な風合い、レトロな雰囲気、をかもしだしつつも、実際の生活は機能的で作業は時短がいい。読書やお出かけや、そのほか自分の時間をたくさん確保したい。さらにくわしく感じてみたら、これがほんとうの理想かな。

食材や生活用品の素材にはこだわるけれど。生活に手間ひまをかけること自体が楽しい、というタイプではなさそうです。そういう体験をときどきはしたいし、そういうライフスタイルを雑誌などでみると心がトキメクにもかかわらず。

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憧れる、そうなりたいと思う、ことってけっこうありますが、すべてを実際に望んでいるのか、というとそうでもないのかもしれませんね。

ある姿を自分の理想と思いこんで、まわりの人もそう見ているし、このイメージを保ちたくなるときもあるのだろうな。

気がつけば、本心ではないけれど、そのイメージに寄せていって、無意識のうちに無理をしていたりして。

「本当にそうなのかな」と自分の本心をちゃんと感じてみる時間、いつももっていたいですね。

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そして、ここまで書いてきて気がついたのは。ある時期がきたら、手間ひまをかけた生活を楽しもう、と本気で思うこともありえるな、と。そのときには、素直に自分の変化を楽しもう。

感じるのは、いまのわたしには集中してカタチにしたいものがあり、その優先順位が高いのだなぁということ。

いまはゆったりと丁寧に生活の細々とした作業を楽しむよりも、集中して成したいものがある。そのために時間を使いたい。それがさらに深い本音のようです。

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自分のなかにはいろいろな自分がいる。さまざまな望みがある。時期によって優先順位が変わることもあれば、まったくちがう関心が湧くこともあるでしょう。

いま必要なのは何なのか、をみわける感度を鋭くもっていたいですね。

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