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まずは自分にくつろぐところから

人ってすごく複雑です。

かわりたいなぁと思っているんだけど、かわりたくない自分もいる。

かわりたいのは、なんだか現実が上手くいかなくてしんどいことが多いから。

だから、かわる方法を探すのだけれど、いざ、こうするといいよと言われてもなかなかすんなりとは受け入れられない時がある。

こういう時、かわりたい自分が最優先でそれしか見えていないと、かわりたくない自分を悪者扱いしてしまいがちです。

だけど実のところ、どんな感じも大切なサイン。

かわりたい自分がいて、こうしたらいいよと他の人からの提案を聞いてはみたけれど。

「むむむ、なんだか足を突っ張って進みたくないとごねているような、抵抗している何かが、わたしの内側にあるぞ。」と感じたら。

かわりたいなら、むしろこうして抵抗してくる部分をしっかりと認めて、「何か理由があるんだろうなぁ」とふわっと問いかけるほうが、まわりくどいようで、実は話ははやいです。

かわりたくない理由って、本当にたくさんあって。

・過去の自分ががんばってきたことを否定するようでつらいとか。

・いままでのやり方を変えてうまくいくのか心配だとか。

・これまでの自分でしんどいながらも上手くいったことを手放したくないだとか。

あれこれでてきます。それぞれの事情や気質にそってさまざまです。

なかでもとくに、どの場合にでも充分な敬意が必要だなぁと思うのは、

「いまでこそもうこのやり方は必要ないなと分かってきた。けれども、これまでそうやってがんばってきたことをちゃんと認めてほしい。充分にその気持ちを聴いてほしい。」という想いでしょうか。

つまるところ、かわることに執着しすぎて他の自分を否定するのは、これまでくりかえしてきた、つらくなるパターンと同じなんですよね。わたしもうっかりすると忘れてしまいがちですが。

かわろう、かえよう、という姿勢におちいってしまうまえに意識したいのは、身体も心も力みをとってリラックスすること。

どんな自分がでてきても、ああ、こんなふうに感じているんだなぁと。ただそのままに受けとめるゆるみ、をもっておく。それがいちばんいいですね。

それに、かわらなきゃって思うときって、むしろ、これまでくっつけてきた余計なものを手放して、本来の自分にもどろうとしているんだと思います。

だから、かわらなきゃ、と思う必要もないのかも。かわらなきゃ、いまのままではダメなんだ、と追いこんでくる内なる批判者に気づいて、それすらもあるがままに見る。他のものと同じように。

そうして、ただ、リラックスしてあるがままの自分にくつろげばいいのでしょう。そうしていると、きっとあたらしい何かに踏み出す力もアイデアも湧いてくる。


続きです。

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