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自分に誇りなんて持てなかった私だからこそ分かった!人が誇りを持つまでのメカニズム。

「ちえさん、自分にもっと誇りを持ってください。」

初めてこう言われたとき、私は初めて《誇り》というものに直面しました。


…というより、それまで誇りというものを
特に意識したこともなくて
「誇り??私、ないの?それ??」という状態だったのです。

言ってみたら、誇り不感症



かえって「私、自分に誇りなんて持てません!」と言い切れる人の方が“誇り”というものを意識しているわけだから
まだ改善の余地がある。
ご自身が「誇りない」と言っているだけで
意外と誇りを持っていることも多いものだから。

……

今思い起こしてみたら
間違いなく私は、誇りというものをいつも求めていたように思うのです。


〜誇れる自分でいるために、私のことを認めてほしい。〜
だから
いつも人に求められる自分でいられるように「ニーズに応える」。
たいせつな家族にでさえ、そのスタイルだもんだから
家族の顔色、どんな状況か?
どうしたら喜ばれるか?
笑ってくれるか?
そんなことばかり考えていたように思うのです。

心を開いて対等でいることを始めから放棄していました。



SNSでもフォロワー数や、いいね!の数に落ち込んだり。


自分の価値を確かめるために、ハードルもどんどん上げていきます。

「もっと人のためになることを」
「もっと価値のあることを」
「もっと明るく!もっとたのしく!」


なんかもう書いてて心っっ底恥ずかしいのですが
それが「私」でした。



“誇りを持つ”ということを意識し始めてから
アファメーションを使ってみたり
誇りある自分をイメージしてみたのだけれど


そもそもカラスがハトになったことがないから
ハトの気持ちは分からない、というのと同じで

誇りのある状態がどういうもんなのかを知らないので
分かりようがないんですよね(苦笑)



ですがこの私、ついにいよいよ

誇りとはどういうもんなのか?
どういう風に育まれるのか?
またどういう風に育めばいいのか?

を解明いたしました!!!



誇りと自尊心。

誇りと自尊心はセットで扱われることが多いですね。
自分を誇らしいと思うきもちと、
自分は尊いものだと知っていて、丁寧に扱う、大切にするきもち。


順番としては、自尊心が先に来て
「私は尊いからこそ誇らしい」となるのでしょうが
命は尊い。そんな当たり前のことも
自分のこととなると、なかなかそうは思えないパターンもあると思います。
少なくとも私はそうでした。



だからまず、誇りだ自尊心だと言う前に
「私は尊い存在なのだ」ということを受け入れる必要があるのです。



ここでまた「私は尊い存在です」なんてアファメーションしても
きっと心のどこかで虚しさが残るだけで
本質的な解決にはならないでしょう。



なぜなら
誇りは「誇り」単体では動けません。
誇りを持とうと思っても持てず、
自尊心も「自尊心」単体では動けません。
自尊心を持とうと思っても持てません。


誇りと自尊心には、根っこがあるからです。 



誇りと自尊心の根っこ。


誇りと自尊心の根っこってなんだと思いますか?


それはね、あなたが“愛されてきた記憶”です。


産まれてから1度もおんぶされたことのない人はいても、抱っこされたことのない人はいないはずです。

どんな環境で産まれ育っていても
歩けるようになるまでの間、誰かに必ず抱っこしてもらえて
母乳やミルクを飲ませてもらえて
ご飯をもらえて 大きくなった。 



それだけでもう、愛されていない人など
この世にはいないことの証明なんですよね。


「わたしは愛されて育っていない」というのは
わたしが思っていたように愛されて育っていない」だけで
あなたに愛を与えた大人は、絶対にいる。
だから愛されて育っていない人など
この世にはゼロ人。



「わたしは愛されて育った。」その記憶(データ)が、誇りと自尊心を育てます。


記憶というのは簡単で、単なるデータにすぎません。
「あの人、昨日はこう言ってたのに今日はこんなこと言ってる。」ってこと、よくありませんか?
それも頭ん中で、その人なりのデータが組み変わったのですよね。

 そのくらい簡単に、記憶を変えてしまえばいいのです。


望んだようには愛されなかったとしても
時に傷つけた大人がいたとしても、それは無視して。


私の場合は祖母が愛してくれました。
先生たちが愛してくれました。
祖父も苦虫つぶしながらでもw愛してくれました。
親戚のおじちゃん、おばちゃんも。
近所のおばちゃんも、駄菓子屋のおばあちゃんも、友達のお母さんも。

こうして書き出してみたら
たくさんの人たちに愛されていたことが分かります。
「大きくなれよー。素直に育てよー。」って。



愛されていない人など1人もいない。

もし、あなたが子育て中だったり
これから子供を持とうと願っているなら

そしていい子に育って欲しいと願うなら(いい子の定義はお任せします。)

親は「親子の愛し、愛された記憶を作る」
これに専念するだけでいい。
つまりいっしょに遊ぶこと。

「親から愛された実感」は自信になる。
自尊心、誇りになる。
堂々と、胸を張って自分の道を歩んでいける。

他人の顔色を見る必要もないから
変な大人にそそのかされたり
彼氏にきちんと自分のきもちを話しながら交際だってできるはず。

自分の人生を、大切なものとして
歩んでいくことができるから。



今の若い子たちの性の扱いも
「親からの愛を感じられたかどうか」は深く関係していると思います。


親にできることはやっぱり、やっぱり、
いい教育よりもまず
胎児のときから(ちゃんと聞いて感じてますよ!)めっためたに可愛がって
遊んであげることだと思うのです。




というわけで、
誇りを持って生きていくには、
自尊心を持って生きていくには、
「わたしは愛されて大きくなった」という実感をまず持つこと☆


愛された記憶→自尊心→誇りと育つ。

これが誇りと自尊心のメカニズムなのでした☆


誇りのミステリー。
謎解き終了!
以上、ご報告でしたっ☆




ちえぼぅ♪






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