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踏切を待つことの、デトックス作用

駅から会社までの道のりに、踏切が1つあります。わたしは、はやぶさとこまちがどっちが赤色でどっちが緑色か、いまだ記憶に定まらないくらいに、まったく「テツ」ではありません。けれど、揺れ具合からして心もとない棒1本を隔てて、目の前の地続きを電車が過ぎゆく場面は、日常にあってよかったと思います。しゃきっと活が入ったり、はたまた、荒ぶったりそわそわしていた気持ちが鎮まるスイッチになっているから。

ひゅぅごぉぉぉぉぉと駅を通過する電車は、ホームから見ていて、「速い」「怖い」「うるさい」けど、ホーム脇の踏切をスピードを堪えて横切る電車は、ひたすら「でかい」「でかい」「でかい」。ホームからだと上半身(車両)しか見えず、その高さに目が慣れちゃってるので、同じ地面に立ったときのダイナミックさたるや。少し俯いた先、眼前いっぱいの、車輪とパイプとエトセトラ。「質実剛健」の四文字熟語がぴったりな、物質感。

カンカンカンの音とともに立ち止まること、ガタンゴトンと過ぎ去る姿に視界と聴覚が一時停止することが、思考のデトックスをもよおすのだと思います。そして、物質感。電車って、上半身はきれいに塗られて装っているけど、下半身は武骨で飾り気ゼロですよね。車のホイールに見られるような装飾性とか、ない。無機質で剥き出しなデザインに潔さと、邪気や揺らぎと無縁な様に安定感(というか、んなこと知ったこっちゃねえよ感)を感じます。

映像でも、横切る電車でシーンが切り替わったりするし、五感の「はい、そこまで」が意識に及ぼす作用ってありますね。

赤い電車に 乗っかって 僕はどこかに 行ってしまいたい

くるり「赤い電車」

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