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ひよこ3歳、一人称・おおもり

ひよこは1歳の頃から、一人称が「おおもりひよちゃん(おもーりひよちゃん)」でした。フルネーム。保育園にもご近所にも、同じ名前の子いないのに。保育園でもご近所でも、ほかにフルネームで自分を呼ぶ子いないのに。みんなが「うずら(うずちゃん)はねー…」と話すなか、一人「おおもりひよちゃんはねー…」でやってきました。

ゴーイング・マイ・ウェイ。たまに大人に「フルネームwww」とツッコまれても、「そうですが、なにか?」てな感じで。親としても、どうせいずれ「わたし」とかに落ち着くんだろうから、それまで好きにしなはれ、と放任でした。

それが、ここ2週間くらいで、変わってきて。3割くらいの確率で、「おおもり」を繰り出してくるように。そっちかよ!さすがに夫とわたしも、ツッコんでしまいました。いいんだよ、いいんだけどさ、どうして「ひよ」じゃなくて「おおもり」を選んだのか、おとーさんとおかーさんは、そこが知りたい。100%好奇心で。

日曜日、家族3人でテーブルを囲んで朝ごはんを食べていたとき。大皿に残る1粒のぶどうに対して、ひよこが「これ、おおもりの!なの!」と主張しました。

娘よ、ここに居るの、全員大森や。

一人の感受性のかたちを決定的にするのは、大仰な出来事なんかじゃない。ありふれた何でもない日々の出来事が、おもわず語りだすような言葉。その言葉をどのように聴きとったか、ということなのだ。

長田弘「記憶のつくり方」

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