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LOVE、御大切に

欠乏は心を占拠する。飢えた被験者が食べ物のことを考えたのと同じように、人はどんな欠乏でも経験すると、それに心を奪われる。心は自動的に、いやおうなく、満たされていないニーズの方を向いてしまう。

センディル・ムッライナタン他「いつも『時間がない』あなたに」

義実家に限らず、実家や旅行から帰ってきたときもそうなのですが、"ハレ"でリフレッシュしてきたはずなのに、「荷物を片づけなきゃ」「晩ごはんの支度しなきゃ」「あー、はいはい、今日のパジャマね(たたまれ待ちの洗濯物の山をゴソゴソして探す)」と立て込む"ケ"がのしかかって、背中がずどーんと重たくなります。

昨日の夕方も、とめどなく喋って歌うひよこの甲高い声に、耳のやさしさが欠乏して、つい「おかーさん、今しんどいから、お願いだから、しゃべらんといて!」とキツく言ってしまう、カチカチ背中のわたし。「わかったよぅ~(「雪だるまつくろう」のアナの真似)」と、しょんぼりなひよこ。ごはんが出来上がるまで、夫とひそひそ声で会話しながら遊んでくれました。

そんなふうに知恵がついてきたので、昨日は、ひよこが人生4回目にして初めて、バレンタインデーをバレンタインデーと認識した2月14日でした。

わたしは、なぜゾンビが走ってはいけないかが分からない程度には分からず屋なので、ひよこにもチョコレートをプレゼント。 「なんで、男の子だけが貰えるの?」に「そういうものだから」とは答えたくないし、チョコレート業界の話をするのも違うしなぁ。

中学の聖書の授業で(プロテスタントの学校でした)、キリスト教が日本に入ってきた当時、LOVEの和訳は「御大切」だったと習いました。「愛」を叫ぶのも刹那的でいいけど、「御大切」のいたわる語感も、ひよこに伝えていきたい。

そう考えると、「友チョコ」文化って、三方よしですね。

明日は、朝のタイムスケジュールの話か、仕事の話か、食器棚の話を書くつもりです。

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