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目薬を使い切れる人に、なりたい

目を覚ませばスマホの画面を眺め、起き上がればパソコンを開き、通勤電車の中でおべんと画像を編集してnoteに上げ、9時から17時までは会議時間を除いてはノンストップでパソコンに向かい、帰りの通勤電車でも……な生活をしているので、当たり前田のクラッカーにドライアイだとか眼精疲労だとかに見舞われています。充血、肩こり、頭がずどーんと重たくなるなどは、万年友だち。空気が乾燥しだすこの時期は、とくに疲れます。目、バシバシ。

目薬さしたらええやん。

そう、目薬をさせば、不快感は緩和されます。だから、「仕事を始める前、昼休み終わり、15時にさそう!」と何度も決意するのだけど、どうにも続かないんですよね。忘れてちゃう。そうして、思い出したかのようにさす→忘れるのループを繰り返しているあいだに、開封してから3ヶ月とか経っちゃったりして。アイシャドウや口紅なんかは1年以上経っても平気でつけられるけど、からだの内部?に直接触れる目薬は、なんかこう、四半期決算で躊躇してしまいます。目薬の底にマジックで開封日を記しておくくらいには、気になっちゃう。で、使い切らぬままに「ごめんなさい、さようなら」です。

なにがイヤって、眼精疲労の不快感を無意識にやりすごすくらい、自分の察しが悪くなっていることです。快と不快のセンサーが鈍感というか、我慢することに慣れてしまっているというか。なんだかなぁ。雑だなぁ。という、どよーん感をからだの中に漂わせるのを、打ち切りたい。

すごく原始的ですが、会社のパソコンのディスプレイの右下に、「目薬!」と書いたマスキングテープを小さく貼ることにしました。右下に表示される時刻をよく見るので。昨日一昨日はもの珍しさも手伝って、なかなかいい感じ。来週1週間、怠らずにできたら作戦成功です。どうかなー。

よく名は体をあらわすって言うけれど、むしろ体の方で自然にずるずると名に近づいていくんじゃないでしょうかね。そういう気がするんです。

村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」


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