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公園の遊具と、運を持ってるか、度を知ってるか

一昨日、保育園がお休みなひよこと出かけたのは、夙川公園でした。パーカー要らずのぽかぽか陽気のなか、どんどこどんどこ阪急電車に揺られて、夙川駅へ。せっかくなので、甲陽園線のホームで発車待ちしてる電車を、すぐ脇の踏切から見上げて、とことこ公園へ。夙川という川の河川敷沿いが公園になっていて、ちょうどこの季節は、川の両岸に植えられた桜を愛でるひとたちで大賑わいです。

わたしたちの目当ては、シーソー。ひよこによく、おもちゃでモノボケを暗に求められるのですが、このあいだ、細長いレゴを渡されたので、動物のフィギュアを乗せて、「シーソーやで」ってやったんですよ。ひょこひょこやってるうちに、跳ねて、飛んで、大団円、みたいな。ひよこにはウケたものの、あんまり遊びに乗っかってこなくて。そういえば、この子、実物のシーソーに乗ったこともなければ、見たこともなかったんです。

シーソーのほかにも、箱ブランコや、ぐるぐる回る球形のジャングルジム、隙間の空いた吊り橋も、ひよこは知りません。公園にないから。危ないんでしょうね。いま、少しググってみたら、事故関連のページがたくさん出てきました。「危険だからなくす、なんて安易だ」と思わないこともないけれど、それが、「取り返しがつかないこと」の再発防止や予防に優先されるとも、思いません。「痛い目に遭う」のと「取り返しがつかないことになる」のは、ぜんぜん違う。ぜんぜん違うけど、どちらに振れるかは、完全に、時と場合による。運を持ってたか、度を知ってたか。子どもの「運」と「度」に委ねるしかなくて、それが心もとないなら、「なくす」に至るのも致し方ないな、というのが、母4年目の所感です。

前に、車で通りかかったときに運良く知れた、夙川公園のシーソー。せっかく乗れたのに、ひよこは怖がってすぐに降りてしまいました。そんなこったろうと思ったよ!キャハキャハ楽しげに乗りこなすお兄ちゃんお姉ちゃんたちをガン見で見学して、今回のシーソー部は修了です。また行こうね。

祈ることのテクニカルな問題ですけれども、「どうぞ◯◯になりますように」ではないんです。お経をインドの言葉で読むと明らかなんですけど、現在完了形なんです。「成就した」と書いてあります。

玄侑宗久 有田秀穂「脳のちから 禅のこころ」

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