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水きりネットとサラダがくれた、幸せの実感

最近、台所しごとで2つ、小さなストレスがなくなりました。

1つは、排水溝のぬめり。気がつけば、ゴミ受けや溝に赤く繁殖しているアイツです。「水切りネットを交換するタイミングで、新しいネットに洗剤をつけて洗う」というアイデアをInstagramで見かけて、膝を打ちました。なるほど!

我が家はシンクに三角コーナーを置いておらず、排水溝に蓋もかぶせていません。シンクに落ちた生ゴミは排水溝のゴミ受けに直行。それを、朝晩(休みの日は昼も)の食器洗いの最後にネットを替えてリセットしています。交換のたびに洗うのは、迫りくる時間や疲れで億劫に思えるときもあるので、そういうときは「次やればいっか」で済ませる、くらいのラフな取り組み。

新しい水切りネットをシンク下の引き出しから取り出す。古いネットをゴミ受けから外して、シンク脇のゴミ袋に入れる。新しいネットに洗剤をつける。ちゃちゃっとゴミ受けと溝を洗う。新しいネットをゴミ受けにつける。ゴミ受けを排水溝にセットする。シンクに常備している空のペットボトルに入れた水500mlを、ゴミ受けにかける。おしまい。所要時間は1分足らず。

この方法を知るまで、1~2週間に1回、食器洗い用のスポンジを交換するタイミングで洗っていましたが、あの赤色が「よいこらしょっと」感をもたらしていたんですよね。(ほぼ)毎日やれば、ぬめらない。赤くならない。触るのイヤじゃない。いぇーい。

もう1つは、中途半端に残った煮もの。おかずの一品にするには少なかったり食べ飽きてたりで、つい、冷蔵庫の片隅でドナドナの待ち行列に並ばせてしまう、3日目の煮もの。この子が命を全うする方法を編み出しました。

小さく刻んで、サラダのトッピングに変身させるのです。お肉も、野菜も。ドレッシングをかけても口のなかで違和感なく、それどころか、食感がアクセントになって、けっこうイケます。もともとは、食べ残りの焼き豚を、厚切りベーコン代わりにサラダに乗せたのがはじまり。それがいまや、豚肉や鶏肉はもちろん、味のしゅんだ大根やちくわにまで及んでいます。

なんだか、こういったことで、けっこう穏やかな気分になれるから、不思議というか、たやすいというか。幸せの実感って、どれだけ憂いを抱えていないか、煩わしさから解放されているか、が大きく関係していますね。

(立案者は)問題は人にあるのだと決めてかかる。問題は理解不足か意欲の欠如なのだと思い込む。そのため、教育やインセンティブ強化の試みでフォローする。
しかしなぜ、パイロットの操作ではなくコックピットの設計を見ないのだろう?なぜクライアントの弱点ではなくプログラムの仕組みに目を向けないのか?なぜ、もっと過失に寛容な仕組みのプログラムを考案しないのか?

センディル・ムッライナタン他「いつも『時間がない』あなたに」

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