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自力で舞台を降りる友だちの、たくましさと、賢さ

昨日は、有休をとって、大阪に住む友だち・バナナと、梅田でお昼ごはんを食べてきました。グランフロントのカンテグランテ。カンテグランテは、大阪で何店舗か展開されている、カレーとかチャイとかインドな雑貨とかのお店です。初めてグランフロントに行くのに、お店の名前に馴染みがあったのは、そういえば、むかーしむかし、本店とイーマのお店にも、連れられたことがあったのでした。からだの半分は感受性、もう半分はユーモアでできてるかのようなバナナには、あの雑多な感じがよく似合います。どこへ行ってもストンと「まじめ」枠にはまるわたしは、とことん、彼女が大好きです。

そんな彼女が下したある決断が、ごはんの主題でした。聞けば聞くほど「ようがんばったなぁ…!」と感嘆のことばしか出てこない、エピソードたち。なのに、あふれ出るユーモアによって、抱腹絶倒の2時間半でした。「この数年間めっちゃしんどかったけど、乗り越えられたのは、前世でけっこう徳積んでたからやわ。これで今世もだいぶ積んだから、輪廻的にはけっこういいセンいってんねん!ちはるちゃんの今世は、ほんま穏やかでうらやましいけど、それは、今までの輪廻で徳積むのサボってきたからやから。わたしの方が、輪廻的に高みにおるねんで!(謎のガッツポーズ)」とか、ぜんぜん、うらやましくないし。アホすぎる。

潰れるでもなく、逃げるでもなく、自力で舞台を降りるバナナ。その姿に、逞しさと賢さを感じました。育ちってそういうところに出るんだろうな。周囲から受けた愛情と、育まれた感受性と、自分で選択してきた経験。自分が同じ状況に遭ったとき、相手方に敬意をもって、内なるシグナルを察知して、打開に向けて動けるかと問われたら、正直、自信がありません。鬱憤を垂れ流しながら、ぼんやりと、「こうするしかないんです」と立ちすくむ、かもしれない。案外ちゃんとできるかもしれないし、そうでないかもしれない。鴨の合唱。

変なものを前にしたときの登場人物のスタンスは、疑問と推論と反論のループの中、結局「わからないや」と匙を投げる。
不思議な話を聞いて想像をふくらませるのは、決まって第三者である。

万城目学「ザ・万歩計」

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