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120㎞ウォーキング、それは過酷な旅

120㎞ウォーキングに挑む理由はない

 2021年2月。大コロナ時代の真っただ中。入学した大学も一度もキャンパスで授業を受けることがなく、時間だけが流れていく。心の隙間は埋まらない。

 ある日、友達が罰ゲーム120㎞歩かされそうになっていたが、彼は気が乗らないようだった。

 しょうもないことにこそ惹かれてしまうこの男の嗅覚は、この120㎞歩くというイベントを捉えて離さなかった。普通に電車に乗って旅行する、それも悪くないが意味もなく歩いて目的地を目指す、こんなにワクワクすることがほかにあるか。

 この世には、言葉では説明できない魅力というものがあふれている。いちいち言葉で美化しようなんて野暮。

 要するに何か具体的な理由や目的は正直なかったのだ。ただ心が揺れてしまったのだ。

概要

一緒に歩くメンバー

 メンバーは、俺と友達二人の計三人。三人とも根性無しではなさそう。普段の歩くペースも平均よりは速いといえる。

持ち物

・ジャンバーやウィンドブレーカーなどの防寒着

・懐中電灯

・夜用の反射板(バッグや靴に貼った)

・絆創膏やテーピング

・飲み物と軽食(どうせ途中で買い足す)

・携帯電話、モバイルバッテリー

・お金

下準備

 とにかく靴擦れだけは避けたかったため、足裏をテーピングで保護することに。もったいない気はするけど、出来るだけテーピングで足裏を覆い隠せるように貼った。靴はもちろん歩きやすいもの。極力身軽に行けるように、リュックの中は軽く服も重たくないものを選んだ。

行程

 出発地は神奈川県川崎市にある溝の口駅。

 約十五キロ先の練馬駅、約四十キロ先の大宮駅を休憩スポットとし、それぞれ初日の昼ご飯と夜ご飯をとる。

 大宮駅から宇都宮市までの約八十キロ、大きな駅どころか駅すらなくなるため、臨機応変に食事や休憩をとる。コンビニでちょくちょく休憩を取りながら、目的地の栃木県にある宇都宮駅を目指す。

 そして、名物の餃子を食べてお開きってわけ。

 帰りはもちろん電車に乗って。

はじめは順調

スタートから練馬駅

 第一パート、まずは練馬駅を目指す。もちろん元気なので会話も弾み、ペースも快調。iPhoneのマップが示す到着予定時刻を縮めつつ歩みを進める。

 正直言うと、練馬駅までについては特に言うことがない。強いて言うなら、少しずつ足に張りが出てき始めたことと、テーピングの切れ目の部分からほんの少し痛みが出ていたことぐらい。それ以外には何の問題もなかった。

練馬駅到着

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 駅前でご飯を食べ、エネルギーをチャージ。テーピングの補強などの準備もぬかりなく。

 ちなみに、二日間の旅の中でこの時に食べた飯が一番うまかった。疲れ具合がいい感じだったのだろう。何事も腹八分がちょうどいい。FREEDってところ。

 「うん間違いないっ!」という名前にインパクトのあるパン屋にも寄ったが、卵サンドが売り切れており、購入は断念した。そして、大宮駅を目指す、第二パートが始まる。

練馬駅から埼玉県に入るぐらいまで

 休憩の効果もあり、先ほどと同じようなペースで足を前に送る。話もまだまだ尽きることはない。精神的にも余裕がある。

 しかし、埼玉県に入るぐらいから、雲行きはだんだん怪しくなってくる。

ここまでのまとめ

 旅の始まりから約6~7時間。旅は順調に進んでいく。ペースも悪くないどころか良すぎるまである。総歩行距離は30㎞に満たない程度かな。順調過ぎて、何かニュースが生まれることもなかった。

辛さは蓄積する

埼玉県に入るあたりから大宮駅まで

 ふくらはぎの上部、膝の裏のやや下あたりか、そこがパンパンに張っているように感じる。歩けないことはない。だが、確実にペースが上がらなくなっていることに気付き始めた。一歩を踏み出すのにいちいち力を使っているような感覚。体重移動をうまく使って歩き、何とかペースを保とうと試みる。しかし、三人に疲れが見えていることは、言葉を交わさずとも共通認識であった。

 夕日も沈み、あたりは暗く、そして寒さが増す。

 友達の一人、足に水ぶくれができペースが落ち始める。俺ともう一人の友達は、見失ってしまわないよう気を付けつつ、なるべく今まで通りに歩いていく。

 途中、「美女木」や「鹿手袋」といった地名を見ては気を紛らわす、なんてこともあった。

 そしてついには、大宮駅に真っすぐとつながる大通りに出た。この時点で三人には、この旅を締めくくるに十分の疲労が見えていた。

 しかし、駅が近づくにつれて周りも賑やかになってくる。この明るさに元気をもらいつつ、根性で大宮駅までたどり着いた。

大宮駅

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 ついに駅に到着しそのまま飯を摂る。席に着くや否や、疲れがどっと押し寄せてくる。足も、足の裏も、もう限界といえる。

 しかし、自分たちで歩くと決めた以上、こんなところで引くわけにはいかない。テーピングを再度補強しつつ、軽食や痛み止めなどを買いそろえ、残された三分の二の旅路を進んでいく。

埼玉県を脱出するまで

 大宮駅を出てから、線路に沿って三、四駅は駅を横目に行くわけだが、そこからはいよいよ分かりやすい目印はなくなる。

 また、疲労はとっくにピークを迎えていたから、これからは駅まで歩いて休憩を取るのではなく、コンビニでの休憩を細かく挟むことにした。一時間、約六キロ分を歩いては休憩、というのを二回ほど繰り返した後だったろうか。友達の水ぶくれがついに破れる。ここで、予期せぬ休憩をはさむことになる。懐中電灯はあるといえど、暗闇の中、ばんそうこうやテーピングの貼り直しにも、いちいち時間がかかってしまう。

 体は冷える。止まると疲れが襲い掛かる。口数も減った。処置が終わり、また歩き始める。だが、潰えた勢いはそう簡単には戻らない。

 ここから休憩がさらに小刻みになっていく。気持ちが持たなくなってくる。休憩するにしても、よくて三、四キロ刻みにしかないコンビニを頼るしかない。終電もそろそろなくなる。

 完全に夜は更けたな。道もどんどん田舎道に変わっていく。逃げ道はない。さあ、本当の夜の始まりだ。

ここまでのまとめ

 ついに旅の歯車がかみ合わなくなってくる。足が鉛のようになるという比喩が、初めてしっくりきたのもこの頃。まだ半分も行っていないぐらいなのに。

 過酷さは増すばかりだ。最初のオーバーペースを後悔し始める。だが、もう手遅れだ。

泣きたい

埼玉県を出る

 疲労はもう変わらない。天井まで来た証拠だ。突き破ってくれたほうが楽だったかも。

 ペースも格段に落ち、何か気を紛らわさなければ、到底歩けたもんじゃない。元気はないものの、話を紡ぎながら暗い夜道を歩く。ゆっくりなペースではあるが歩き続けたおかげで、気付けば茨城県に。

 実は茨城県に入ったと気付いたのは結構後で、側溝に「茨」という漢字が彫られていたことから確認した。田舎道の景色は変わらないから、実感もなければあまり喜びもなかった。

 ちなみに、この旅では、一度茨城に入ったのち栃木県に入り、その後また茨城に入り直してさらに再度栃木に戻る。説明が面倒くさい旅路だ。

茨城と栃木を股にかけ

 ここらへんで、自分の水膨れも割れてしまった気がする。だが、「止まる=諦め」みたいなもんだったから、我慢して歩くことにした。

 三人の苦しみには見向きもせず、時計の針は夜中から明け方へとカチカチと動いていく。

 だんだん現れてきた上り坂に辟易しつつも、明かりが差してくることにかすかな希望を感じ始めてくる。ペースは上がらないのに、まだまだ道のりは残されているのに。力というものは不思議に沸いては不思議に消えるもんだ。

 ひたすら歩いていく。歩き続ければ必ずたどり着く。この揺るぎない事実だけが唯一の頼りだった。そして、三十分程度で我慢ができなくなり時間を確認しては絶望する。この繰り返しだった。

茨城と栃木を股にかけ(再)

 栃木を通過すると、また茨城だ。

 しかも、先ほどと何も変わらない。それでも、時間とは良くも悪くも自分勝手なもんで、止まることなく進んでいく。

 もう朝といっても過言ではないだろう。栃木に入り直した時には、もう夜とは言えない明るさになっていた。

 そしてついには起床から一日が経過。キツいとかキツくないとか、そんな次元は超え始めていた。なぜかイける気がする。頭までもバグったみたいだ。好都合だ。それならもう行くしか選択肢はない。

 歩みを進めていき、朝食にもありつけた。座れば疲れが倍増するが、もう慣れたもんだ。何回この歩きにおける倦怠期を越えてきたと思ってるんだ。

 時間は、明け方を過ぎて午前中へと移り変わり、残り四十キロほどとなった。

バイパスに沿って

 実は埼玉県を出る前からずっと春日部バイパスに沿って歩いていたのだが、それはこの時間になっても終わっていなかった。ずっと景色が変わらない。本当に景色が変わらない。そして、進んでいる実感をかき消してくるものの筆頭がこれだった。

 歩きのことを考えないようにして気を逸らしながら歩を進める。すると、まだバイパスは終わらないものの、景色がだんだんと変わってきた。宇都宮まであと○○㎞という標識も目に付くようになってきた。

 よし、これからがスパートだ!

 しかし、ここからが本当の地獄だった。

残り四十キロから二十キロ

 このころ、五キロ歩くのに一時間ほど、そしてその都度十分以上の休憩をとっていたので、二十キロ先までは約四時間強かかってしまうペースだった。ゴールまでは九時間ほど。途方もなさすぎる。

 そのうえ、一時間歩くのでさえ、もうままならない。精神は完全に崩壊していた。

 チェックポイントにしていたコンビニまでが遠すぎる(ように感じる)。少しづつ苛立ち始めていた。100mでさえ長すぎる。俺はこの距離を10秒台で駆け抜けていたのに、今ではさんざんな時間をかけてやっとのことで歩いているのか。

 さらに、日差しとともに眠気がピークに達してくる。寝ながら歩くこともあった。100m歩いては目を覚ます。疲労と進度が釣り合わなくてイライラする。こんなことは後にも先にもないだろう。辛さは限界をとうに超えていた。

 無性に泣きたくなった。辛かった。本当に辛かった。一生懸命に歩いても進まない距離や時間、痛すぎる足、誰にも助けてもらえないこの旅の中で、頑張っても報われないこの事実を、己の無力さを、受け入れることが出来なかったのかも知れない。この辛さは言葉では形容できない類いのものであった。

 だが、歩き続けることで目的地は確実に近づく。ついに、残り二十キロ地点まで来た。

 そしてこれは同時に、長かったバイパスとのお別れも意味していた。

残り十キロまで

 正直、まだ二十キロも残っていることに目を向けることができなかった。しかも、ここから十キロは、今まで以上にコンビニは見つからなそうであった。

 だから、作戦を立てた。五キロ歩くかもしくは一時間歩けば、休憩をとることにした。これは、ペースがさらに落ちて、五キロ歩くのにも一時間以上かかりそうであったために作った逃げ道だったが、これが功を奏した。

 先導するようにして友達二人を引っ張り、根性を出して歩いていくと、一時間もかからず、なんなら五十分程で五キロを歩けた。なぜか力が湧いてきていた。

 この調子で残り十キロ地点まで来た。正念場だ。

宇都宮駅到着まで

 残り十キロとなり、時刻は十二時をとうに過ぎていた。

 力が湧いてきているからと言って、決して歩くのが楽になってきたわけではなく、腰を据えて休みたい、というのが本音だった。

 だから、いい感じの距離にあった天下一品を目指すことにした。約二、五キロ。これが異常に遠い。それでも歩き続け、ついに天一に到着。が、閉店したのか店休なのかは知らないが開いていない。天一を目標にして歩いていたから、突然の裏切りに激しく落ち込んでしまった。このタイミングで強烈なボディーブロー。立ち上がるのでさえ困難。

 ただ、歩くしかない。歩くしかないのだ。さらに二キロほど先のマックに目標を変更して、棒になった足を動かしていく。心折れつつ、そしてマックも閉まっていたらという最悪のシナリオが頭をよぎりつつ、到着した。開いていた。やっと本格的な休憩だ。ここで食べるキットカットフルーリーは格別。うますぎる。残り六キロ強歩ききれと言わんばかりに活力を与えてくれる。本当のラストスパートだ。テーピングを貼りなおして、最後の戦いへと備える。もう、すぐそこなのだ。

 ここからの歩きは、我慢以外の何物でもなかった。これは今までと変わらない。ただし、宇都宮駅を少しずつ感じることのみが今までと違っていた。足取りにも力強さが増す。

 そして、ついにゴールイン。やっと終わったのだ。あとはゆっくりと餃子を堪能することにしよう。

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おまけとここまでのまとめ

 コロナは見境なく攻撃してくる。

 駅のそばにあって評判のいい餃子屋が、政府の要請を受けてか営業休止をしていた。クソが。最後の最後まで途切れることなく何かがケンカを売ってくる。

 しかも、この旅の最もアホなところは、旅が終わったとて、まだ歩かなければならないことだ。駅の二階までの移動、最寄駅から自宅までの移動。

 しんどすぎた。正直四十キロで十分だな。

 所要時間は約32時間。休憩を除いても27時間ほども寝ることなく歩いていた。

 過酷すぎる旅だった。


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