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「底辺マンション」という住まい

私が住んでいるマンションについての話をします。
3階建て、エレベーターなし、私よりも年上の駅遠マンション。
(「駅チカ」とか言うのであれば、反意語として「駅トオ」もあるはずだ)

昨年出て行った階下の住人は、まあ威勢の良い刺青を二の腕に入れていた。
どいつもこいつも、ゴミの日を守らないなんて、日常。
大人が誰も見ていない中、マンション前のスペースでやりたい放題で遊ぶ子供達。
ベンチを破壊し、花壇の柵を引き抜き、駐車場の車に小石を投げ、道路に飛び出し救急車のお世話になる。

喫煙者も多数。夜中の2時と4時にタバコの匂いが換気扇から上がってくる。
共用スペースに置いてはいけない私物を並べまくる一家。
「WELCOME」と書かれた、悲しいほどに安っちい色褪せた玄関マット。
いやいや。置いたらダメなんですって。
まあ、それだけなら大目に見ますよね?
でもね。他に巨大な傘立て、サッカーボール等が3つ置けるスタンド、日によっては汚いノーブランドの靴が何日も放置されている。
ちなみに、この家のお子さんは野球をやっているご様子。
(サッカーじゃないんかい)
契約書の禁止事項、掲示板の注意書きの紙にも「私物を置くな」と書かれているが
その注意書きの目の前の集合ポスト前、そこが彼らの子供用の自転車置き場。
うん。気分は一戸建てなんかな?^^
\WELCOME/
夏には死んだセミが仰向けに転がった虫かごが何日間も置かれていたことも。

とっても自由な共同住宅。
ルールを順守する人にはストレスの多い住まい。

たぶん、セブンスターじゃなかろうか。
あんなに臭いタバコの匂い、もう何年も嗅いだことがなかった。
斜め下の部屋の老人、毎日玄関前で喫煙をしている。
子供を塾に迎えに行くため、家事を中断していつも時間ギリギリで飛び出す私は、いい加減な格好で出来れば誰とも出くわしたくないという願いを抱えて階段を全速力で駆け降りるのだが
ドアを開けた瞬間の激臭で、まだ目には見えぬ老人の居場所を把握する。
昨夜は健康的に「夜のランニングだ!」なんて子供を連れて意気込んでドアを開けた瞬間、激臭。萎える。

私はね。静かに生きたいのだ。
とても静かな、ポツンと一軒家で。圏外の町で。
なんてゴミゴミ汚い町。まともな歩道もない通学路。
日本語が全く話せないフィリピンハーフの子を公立小学校に素知らぬ顔で放りこむ親。
(その子に絡まれたり、担任がその子に激昂する姿に怯えたりで、能天気な次男がストレスで一時期おかしくなるなどのお世話になった)
「一家族一箱までのマスクを3回店に行って3つ買ってきたよ!」と声高に豪語するミニバスチームの保護者代表。
部活の役員会に一人だけ遅刻し、アポなしで独断で顧問を訪問し迷惑がられながら
「今年頑張らないと来年の役員の成り手がいないよ!」と他人を叱咤する熱血漢なママ。
(今年頑張る=来年の立候補者が増える、の計算式がどうしても私には解けない。おそらく他の役員全員も解けていない)

駅トオの町。そんな人々が住む町にある、底辺マンション。

恥ずかしくて、言えやしないのだ。
エレベーターもない賃貸マンションだ、なんて。
駅まで自転車で通っています、なんて。
乗っている軽自動車が、塗装も剥げて運転席の窓も明かないボロ車だ、なんて。
会社で言ったなら、「ここはあまり突っ込まない方が良さそうね」のトーンで、「へ~」と疑問符全開の目をされながら、曖昧な相槌が返ってくる。

何が悲しいかって、そんな彼らには一ミリの悪気もないこと。
本当に、ただ純粋に、そういう住まいに住んでる層の人間が理解できない。「そういった方々とはあまりご縁がありませんので、よく存じ上げておらず…」
と。悪気なく考えている。これこそが、ザ・格差なのである。

格差社会の上と下とで手を繋いで、腕がピンピンに張っている。
中指の先っちょだけ、双方につかんでもらっている感じ。
上流階級者しかいない都心一等地の会社に通う、底辺マンションの私。

格差って、連鎖するのだなあと、しみじみ思う。
私が住んでいたのは、もっと長閑な田舎だったけれど
毎日毎日、お金がないという母親の溜め息を聞いて育った。
「お金がない」のは当たり前の日常だった。
親以上の職業に就くことなんてイメージ出来なかった。
同郷の友人は「私はこういう小さい会社が合っている」と言うけれど
人としての魅力も高いし、きっともっと稼げる仕事にも就けたはずだった。

みんな、自分が育った世界の天井の高さを超えることが出来ない。
その天井を超えて生きている人は、私が住んでいるのとは違う世界の人。
自分の可能性を狭めて、そんなこと私には無理だよ、と思う。

天井の上の世界の景色を知らないと、無理なんだ。
格差の梯子をのぼって超えるって、厳しいんだ。
底辺と天上の世界を毎日行き来して、そう思う。
ただただ運良く、優しい方に拾っていただいたお陰で入れた今の勤務先。
面接を終えた後、「いや、面白い経験したなぁ!」と落ちる気満々でそびえ立つビルを出た、30代前半のリクルートスーツな私。
(今思うと、なんと恥ずかしい出で立ち)

どんな家庭で育っても
あるいは、家庭で育つことすら出来なかったとしても
容赦なく残酷に、すべての責任は自分の肩にだけ圧し掛かるし
そこで見た世界が自分の棲む世界を決める。
人格も性格も、そうなのだけれど。

私が底辺マンションに住むことの責任は、私にある。
親が貧乏だった。
離婚して、一人で子供二人を育てている。
そんなことは、もう何の言い訳にもならないのだ。
私にはここがお似合いだ、こんなところにしか住めないけど、仕方ないよね?
そう思う自分が選んだ住まいなのだから。
ただの自業自得。嫌なら抜け出す努力をするしかない。

次の夢は、品の良い人々が住む上辺マンションに住むこと。
(果たしてそんな場所が実際にあるのかは分からぬが、ここより悪い環境が「マンション」に分類されるこの世の建物にあるとは思えない)

底辺マンションをモチベーションに、私は生きる。
もっともっと稼ぐ。絶対に引っ越してやるからな。
子供にプラスの遺産として残るような物件を残してあげたいものだなぁ。

夢は大きく。
「借金をモチベーションにして働け」と、さっきテレビでも言っていた。
貧乏だと理解できなかった消費者金融のCMが、意外と的を射たことを言ってると思えるようになったものね。
高級な鎧兜を身に着けた者が、天下を取るのだと。
稼ぐ能力があれば、借金も悪とは限らないのかもしれない。
先に良い物を手に入れてから、それを守るために闘うのも、良いのかも。
「お金がない」を毎日聞かされて育った私がそれに気付くためには
こんなにも時間がかかってしまった。

言葉の呪い、育った環境の呪い。
借金はモチベーション。
底辺はモチベーション。

さあ、明日も忙しい。頑張ろう。

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