失われた統合人格を求めて

(1)
甥・遊人の人格的統一が果たされた感触を持ったこと。
(哲楽的アプローチを利用した精神医学的療法)

夕べ(2023年9月9日)のことだ。今朝未明にかけ同居している甥・遊人と叔父の俺はいつものごとく5時間程度話し込んでいた。俺は興にのればやりとりに疲れることはない。
俺は統合失調感情障害で障害年金2級受給者、2年更新。しかし、遊人は5年更新という重篤度の高い認定を受けた障害年金2級受給者。
去年の春だったか、担当医に断定された。長年煩ってしまった統合失調症患者は生涯完治することはなく薬剤治療を受け続け寛解状態を維持できれば御の字。現在の日本の精神医学を巡る医療制度上ではこのように判断される、と。
俺は「ああ、完治はないと見通しておいた方が良いのだ」と判断し、遊人の明確な急性発作発症は19歳の時で、それから途切れることなく現在に至る病院利用歴を添えて申立書を作成し、年金事務所に提出し認められた。

誰もが理解しようと思えば理解できるようにするためには長く複雑な構成にならざるを得ない。兄貴はこの間プルースト『失われた時を求めて』を読了したらしい。その程度の面倒くささの構成と断片的なエピソードの重積になるだろう。詳しく書き出すと俺と遊人、俺と兄貴家族、それぞれの千田家と兄嫁実家の関係などが入り込みノンフィクション純文学的大河記録文学となってしまい、その機微を理解するには多大なる負荷を読者は抱え込まざるを得ないだろう。

俺は哲楽者として自己の確立を2007年中頃に果たした。2ちゃん哲学板『哲学は難しすぎる』『哲学は難しすぎる2』スレッドを用い文字表現活動を通じて、俺はウィトゲンシュタイン「言語ゲーム」概念をものにし、実証し得たと確信し、現在は『哲楽者』と名乗るようになっている。だがしかし、現実世界における俺は言行一致と受け取られるようなことはほぼなく、リアルな現実生活においては『たわけ者』と判断されていることとなる。街の時計代わりに使われたカントでもなく、思索メモを克明に残したウィトゲンシュタインでもない俺でしかない。信用されるわけがないのが現実生活における俺の行動だった。

急用のため、途中で終了させてもらいます。

(2)
9月10日(日)の朝、急用にて中断したのだが、話はその前の晩に遡る。
9月9日(土)の夜、5時間ほど甥の遊人といろいろ話をした。胸のあたりに黒い何かがあるようだという。以下、イメージのやりとり。

俺「どんなの?」
甥「カラオケボックスにある防音室のような頑丈な造り」
俺「カラオケボックスなら扉、あんじゃね? 開けられない?」
甥「ああ、ありますね。開きます」
俺「中はどうなってる?」
甥「人がいます」
俺「誰? 店長? 話しかけてみ」
甥「あなた、どなたですか? 店長さん?」
男「いや、店員。店長はいま、いませんけど」
俺「名前は?」
男「後藤秀文」
甥「これまで聞いたことないなー。どこに住んでるの」
後「オクラホマ」
甥「なんでオクラホマから」
後「いろいろあるけど、お蔵入りしちゃってて」
俺「オクラホマにお蔵入りw こんな下らない駄洒落言うの遊人ぐらいだろ。お前、遊人の別人格だな」

後藤はぎくっとし、観念した。
俺「遊人、後藤とひとつになってみたら?」
甥「マーブルマーブルぐーるぐる」、一人格になれたようだ。

俺「その防音室、どうなってる?」
甥「扉がなくなっているけど、残りは頑丈なまま」
俺「その部屋、必要?」
甥「んーっ、要らないかな」と壊し始めた。
甥は10分以上、奇声を上げたり、異様な身動きをして、ようやく壊しきったとのこと。

俺「頑丈だったなぁ。さっぱりした?」
甥「さっぱりしたけど、しわしわのスライムがいる」
俺「そのスライム、どうしたい?」
甥「お茶飲みたいって」
甥が実際に冷茶を飲んだら、スライムもぷにぷにして生気を感じたよう。俺は、「ああ、遊人の心が生き返ったのかもな」と思った。

話は続く。

(3)
9日(土)の話し合いの最中、遊人は「あ、今日のダンス練習、ど忘れしてた」と思い出した。

遊人の人生のピークは小学6年生の時。地元気仙沼で子どもミュージカル劇団『うを座』が発足し、その初舞台で遊人は観客全ての心をわしづかみにした。
浦島伝説を下敷きにしている独自脚本。壤晴彦が総合演出でメインスタッフもプロ第一線で活躍している方々。
3回公演し、道化師的な役を演じた「カメ」が遊人で、絶賛の嵐だった。例えれば『真夏の夜の夢』のパックになるか。

中学・高校時代には、演劇という非日常時空間と日常時空間の乖離、面倒くさく書けば、形而上と形而下存在とが乖離していく方向に進んだ。
国際基督教大学に進み一人暮らしをしていくなかで、凡庸でしかない自分に気づかされていく。特権的立場にいるはずの自己が失われたのだろう。
1回生の3月末頃、突然、身体が硬直して動かなくなり、どうにか助けを求めることができ、大学の健康センターを通じて精神病院に通うことになる。
その後、休学・退学。
退学後3年間は復帰可能という制度があり、無理矢理復学。学生会館に入居し、管理人さんや同居している学生たちの助けを得ながらどうにか入学してから全体として10年かけて卒業はできた。させてもらったってのが実情だろう。

俺のところへ突然来たのが30歳の時。俺は精神病者として過ごしていたので、遊人もまた俺と同じ精神病だとすぐにわかった。それまでは遊人の家族3人だけで抱え込んでいたから、具体的なことは何も知らなかった。今、甥・遊人と同居してまもなく6年になろうとしていて、らっきょうの皮を剥くように少しずつ良くなってきた。
遊人の同級生がダンス・グループを始めて10年ぐらいになるってのを聞いて、筋力トレーニングやら体幹的バランスに効くんじゃねと思い、昔取ったカメの杵柄もあることだし、やってみたらと。
で、その同級生は大君と言うんだけど、彼のダンスを少しは見ているだろうから、大君のイメージで踊ってみと促した。そしたら、南国の交通整理してる警察官の劣化バージョンだし、どっか、新しい学校のリーダーズぽくもある。

俺「それでいいのかよ。どこが大君のイメージなんだ」
甥「ぐぬぬっ」
俺「リーダーズのスズカを意識してみ」
遊人は踊って、それっぽくはやってるようだが、真似は真似。このとき、床に手をつけた際に手首を痛めたようだ。
自己採点させた。カメの点数は児童加算もあって100点。高校3年のときのうを座公演『注文の多い料理店』での看板男の異形さが80点。スズカ本人が40点。スズカを意識した踊りは30点。
翌日10日、遊人が起きてきたら、夕べ床につけた手首の痛みが増している。そういや、どっかパキッと音が出たかもしれないってんで、日曜だから市立病院の救急外来に連れて行くことになった。これが「急用にて中断」の理由ってわけだ。

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