生まれ変わった日
4年前の今、私は手術台でまな板の鯉でした。
朝8時過ぎに手術室に移動、いくつかの説明を受けたあと手術台の方に移動され、麻酔。多分3呼吸もしないうちに意識なくなったはず。
私はこのとき、一度死ぬのと一緒だなと思っていました。その手術中に”いのち”が途切れる確率は低いでしょうけれど、とはいえ、目覚めない可能性がある。それをあえて意識して手術に臨みました。
私はここでこれまでの人生を終えるんだと。次の目覚めは新しい目覚め。生まれ変わり。何もかもまったく新しくしていいんだと。
術後はまったくもってすっきりした目覚めとは程遠く、そして完前に目覚め、起き上がれるまでには時間も要したので、
実際は新しい目覚めの晴れやかさは皆無でしたが。
少なくとも手術が決まり、麻酔で意識がなくなるまでの期間に私は死に支度をしたことは間違いなく、
余命があと1ヶ月だとしたら何をしたい?みたいなことを、1人でとても真摯に本気で向き合った貴重な時間を過ごしました。
ちなみにこのときはまだ悪性だということは誰(先生も)もわかっていません。生検を調べない限り、どれほどあやしくても確定はしない(できない?)そうです。
だから実際にガンだったね〜と告げられたのは術後1ヶ月してから。そのとき、顔つきの悪いガンがあると初めて知りました。
見つかったのも、手術になったのも、執刀医の先生がとても腕のいい医師になったのも、いろんなラッキーが重なりました。
あのとき見過ごしていたら、あのとき検査しなければ、あのとき先生の言葉に従わなければ、、、今、私は生きていただろうか? 生きていたとしても今のように町工場の代表をして、占い師して、店やってなどなどをできるような状態ではなく、緩和ケア病棟にいたのかもしれません。
正直いうと、どちらでもよかったかもしれません。その後があまりにもキツく、厳しく、苦しく、想像できない辛さが続いたから。そもそも死ぬことへの恐れはなかったから(誰かに心配かける、迷惑かけるといったことで困ったりはしたけれど)。
だからこそ思うのは、生きることが必然だったのかな、ということ。ここで手術して、溜め込んだものをしっかり取ってもらい、身軽?になってスッキリして新たにがんばれ!と何かしらの意向、意思、計らいがあったのではなかろうかと。
やるべきことがまだ終わってないから、まだ逝かせないよ〜、しっかり働いて〜と仕向けられたのではなかろうかと。
そう考えておかしくないほどに、その後、ありえないくらいがんばることになりました。
術後は余生のように静かにおとなしく過ごそう。穏やかにささやかに生きてゆこう、と術後、生きてるだけですごいんだとしみじみ思いながら考えていたのはなんだったのか。
手術後、5月いっぱいまではリハビリのような毎日でしたが、6月からはそれまでの私がまったく想像していなかった方向、状況に恐ろしいほどの速さで巻き込まれていきました。
そして今、それが加速するかのようにまた新しい変化の時期を迎えている模様。といってもどっちに飛ばされるのか、何が飛んでくるのか、さっぱりわからず。
この4年、キツかった、大変だった、、、と思う反面、本当の闘いはこれから?な感覚も否めず。もしやこれからのために、一度リセットさせられたのか?とか。
手術を受けない選択、手術を受ける選択、どちらのパターンも(同じタイミング、状況で)体験することは私たちにはできません。だから受けなかった場合の私の今は想像するしかなく、
実は緩和ケアにはいなくて、奇跡的なことが起きてガン消失とかで話題になっていたかもしれません。
これから、本当の闘いが始まるかなんて本当はわからないけれど、手術を受けるか受けないかの選択を私がしたように、いくつかの選択をしながら新しい体験をしていくのでしょう。
どうなるか結局はわからないんだから、好きな方、やってみたい方、気になる方を選んでその先を見ることを楽しんでみようかなと思います。
何をやっても後悔することはあるだろうし、同時にこっちで良かったという面もあるはずだから。