ちろり
日本には今、使われている新暦よりもずっと長く使われていた「こよみ」があります。旧暦と呼ばれます。 こと女性は旧暦を知ることで心身がラクになる、感じる方が多いようです。 旧暦を探究してみたら、世界にはいろんな暦が存在することも知りました。 何かの足しになるのかならないのか、わかりませんが、私には興味深く。まとめてみたいとと思い始め、ここで書いてみることにしました。 あなたの何かの足しになればいいな〜と願いつつ。
2018年の終わりに仕事を失いました。 リストラというのでしょうか。支払いが滞る状況で、給料も期日にはもらえないのが続いていました。 2019年の初めに占い館から声をかけていただき、思いがけず占い師になりました。占い師になれると思ったことも、なりたいと思ったこともなかったですが、仕事しなきゃ、だったので選択の余地なく。 知らない人が突然目の前にいらして、悩みを打ち明けられ、お応えしていく。できるのか不安でしかない。おっかなくて仕方ない。 半年はがんばろう、それで辞めよう
ちょっと書いておこうと思うことがあります。 去年、対人関係ですごくイヤなことがありました。 それがきっかけで振り返ってみたら、すっかり忘れていたけれど、 私はそもそも人が苦手なんだったと思い出しました。 その割に良い縁に恵まれている方だと思っていたけど、 違っていたかもしれないとも思えてきました。 人様への期待が多分、割と低めなのと、人様への関心がさほど高くないので 気づかないというか、気にならないというか、あきらめグセかもしれないけれど。 自分からあまり人と関わろう
2020年の4月、手術をしました。 それから4年。 手術したときは良性悪性がわからなかったからノンキなものでした。 チラリとも悪性だと思っていなかった。 自覚症状がない病気を体験すると自覚は当てにならないと気づいてしまう。 過去にいくつか病気をしていることもあり、カラダのケアもする方でした。 ボディケアをお願いする方もいましたが、それなりに深刻な状態とは全く思われなかったようです。 起こるべくして起こるほどの生活習慣ではなかった。 ストレスはそれなりにあったけど、それを
自分にとっての ほんとうは、を人前で出さないようにしてきた。 自分の中の当たり前が人には通じない。 共感されない。 人にとっての当たり前がわからない。 共感できない。 このギャップを埋めるために 自分の「ほんとうは」を出すのをやめた。 いつの間にか自分の「ほんとう」が よくわからなくなった。 ほんとうは、を出さないように努めたことは 悪いことではないと思う。 ただ自分の「ほんとうは」を野放しにしたら どうなるのだろう。 何が出てくるのだろう。 そんな好奇心が出てきた。
3年前に血尿が出たのは所属する占い館のトイレでのこと。今もそこで鑑定をするのでトイレに入ることがある。普段はそのときのことも、その後のこと(入院とか手術とか病気のこととか)を思い出すことはないけどそこではふと思い出しやすい。あれはホラーだった。二度見した。何事もなくありがたし。
うっかりすっかり放置してる間に 丸3年経過。 転移やら再発やらナシとお墨付きいただき、検査も半年ごとから1年ごとに。検査、何気に費用かかるのでありがたい。 術後に想定外に人生一変。 本当に人生何が起きるかわかりません。だから他人軸じゃなく自分軸で後悔ない選択を心がけたい。
noteが2周年記念のバッジをくれて気づく。 あれから2年かと。 あれとは、noteを書き始めるきっかけのあれ。 ほぼ黒の歓迎されない未確認物が体内に確認され、 白でも黒でもこの大きさなら手術と言い渡され、 入院、手術をした。 入院中はネット関連一切持ち込まなかったので 書き始めは退院後のはず。 退院後、私は確かに、これからは余生。 ゆっくり生きよう。のんびり日常を楽しもう。 と誓った。 が、、、、、、、、、、、、 人生まったく甘くなかった。 術後の経過が良くなかった
昨日11年で7000人の経営者さんにインタビューしたという方にインタビューされる。新米社長特集の企画で。聞かれることに答えていたら親孝行な娘と位置づけされたよう。こちらは全くそのつもりがなく。このズレ興味深い。取材には某芸人さんも同席。通勤時に偶然女芸人さんを見かけた不思議な日。
2月19日に 二十四節気の2つ目、 雨水に入りました。 凍りついていた雪が解け 水、雪、雨になって降る頃 であり、 草木の芽がで始める頃 ということです。 乾燥が気になる季節の 終わりを告げるようですね。 さてこの二十四節気は、イコール旧暦と 認識されることが多いですが、 実は違います。 暦のことを書いてみようと思うと 何がどう違うか、 旧暦とは何か?などに触れなければ なりません。 それでいくつか本を読んでみるのですが、 読む理解も追いつかないため 説明するなん
暦(こよみ)とは、Wikipediaには 『時間の流れを年、月、週、日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論や、それを記載した暦書・暦表を指す。 〜後略〜』 https://ja.wikipedia.org/wiki/暦 とあります。 私たちがよく見たり使うカレンダーも暦のひとつです。 太陽がひと巡りするごとに「日」は更新されていき、365日で一年という区切りとし、366日目はまた、1日に戻り、新たな一年のスタートになります。
noteにマガジンというサービスがあると知り、たいして調べることなく始めたらなかなか進まない(汗)。他の媒体にしようかとも思ったけれどキライじゃないフィールドという印象がどこかありよくわからないまま少しずつ進めてみようと今は思う。「暦(こよみ)」について書いていこうと思ってます。
先日半年後のCTと診察へ。再発転移の心配はなし。肺に炎症の所見あり。次の検査(半年後)まで様子みる。と言われたがまあ気になる。転移に関係するのかしないのか。炎症だから関係ないと勝手に思いコロナとか?なんて聞いてしまったがそっちより心配するのは転移じゃね?と後から自分ツッコミ。
去年の春先、未確認物体が体内で発見された。 偶然の賜物だった。 担当医が「お印」という表現を使うほど、因果関係がないことで見つかったのだ。 検査を進め、取ることを勧められた。 未確認物体はいわゆる腫瘍。 取る以外、良か悪かの判別はできないと言われた(絶対じゃないけど、二次災害の危険性が高いため普通はしないらしい)。 西洋医学に頼らず生きると決めて久しく、死んでもしないことのひとつが「手術」だった。 だから取るという選択肢は本来ない。 のだけれど、今回はなぜか違
去年の今日は予定より数日遅れた退院日。今の時間(午前7時台)は準備をしていた。 まだゆっくりとしか歩けない。起き上がるのもひと苦労。荷物を持って降りるのは難しそう(空の食器を持って数十メートル歩くのもキツかったので)。 迎えは来てくれるものの、コロナ渦ゆえ迎えすら1Fの受付までしか入れない。 前日には看護師さんかヘルパーさんが手伝えると言ってくれていたが、余裕がないのか来てもらえず、声をかけられる空気もなく、自力で持っていくことに。 そもそも荷物少ない方だし、リハビリ
去年の今日はまだ入院中。 予想より大きく取ったこと、他の臓器も少し。そのため出血が多かったそう。そのせいか、貧血気味となる。歩くの困難で少ししか歩けない。こんなになるんだ・・・と驚いた。 予定退院日は23か24日だったかと思うが延びた。 帰りたかったわけでも、帰りたくないわけでもなく、ただこの状態で日常生活を送れる気はしなかったので入院している方がいいのかも、と思った。 術後は食欲がなくなり、食べられる量は減り、動くのもキツくて、ようやく?病人になったようだった・・・
去年の今頃はロボット ダヴィンチさんに手術して もらってました。 自分なりに、 目覚めぬことも覚悟して (基本、そんなことはないのですが) まな板の鯉に。 まあ、ホントに恐れや不安はなく 臨死体験とかあったらネタになるのに、 くらいの気分で、 次に目覚めたら出会えるであろう 生まれ変わった自分に会うのを 楽しみにして。 ともあれ全身麻酔。 そのときの私は、 無 だったはず。 写真は、あまりにきれいで 思わず止まったしまった本日のツツジ。