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てぬ歩き#03 | 上野、マティス展

アートという言葉はなんだか軽い。商業主義的な匂いがプンプン漂う。商品にアーティスティックという付加価値をつけて、装飾を施した、瀟洒で不毛な販売戦略。芸術思考とは相反し調和を蔑ろにした行為。芸術を薄めて大衆化させる、その工程には芸術なんて字は固すぎる(「芸」なんて、本字にすれば「藝」ですよ)。横文字でアートにすればフレンドリー。求道の末磨き上げられるべき芸術が、カジュアルで、オシャレなアートに成り下がってしまった。これは、もはや頽廃にほかならない…………とまあ、しかめつらしい言説を、わざわざ誇張して書き連ねてみたところで、デザインとかイラストレーションとか、商業的価値の方向に傾倒している自分が、あれそれ吠えたところで説得力はない。私には芸術という単語は重すぎる。
ただ、美術展の有り様はちょっと思うところがあるというか、ああ滑稽だなとか思うところはある。最近は、展示のなかでも写真撮影OKなエリアがあったりする。ただ、そのエリアに入ると、もう、ひたすら撮影に精を出しているヒトたちがいる。ほとんど実物を見ていないじゃない。前に乗り出してスマホを構える画面……いや、歪んでますよ。せめてもうちょっとまっすぐ撮ったら……ああ、いえ、なにも。

とは言いつつも、写真を撮る


自画像も自機によって雰囲気が変わる。基本、髭のおじさん

金曜日に有休を使って東京都美術館で開催された『マティス展』へ行ってきた。マティスくらいはさすがに見ておかないと。仕事に波があって、気がついたらあとひと月ほどで終わってしまうので、なんとか仕事を整理して、平日に休みを取った。すこし前に行ったエゴン・シーレの展示がやたら混んでいた。もう都内の休日はもう人であふれかえって、ゆっくりなにかをするなんて出来ない。今回は人の少ないだろう平日に見に生きたかった。
マティスは私の先生が絶賛していた。私は、もちろんマティスは素晴らしいと理解しているものの、いまいちピンときていなかったところがある。それはなんでだったのだろうか?……というところを確認したかった。
全体の展示数は少なめだった。ゆっくり見て1時間半くらい。ちょうど疲れない量と言えば、そうだろう。やはり平日ならうんざりするほど混み合うことはなさそうだ。
彫刻作品もいくつかあって、立体になるとフォルムのとらえかたがダイレクトに感じられた。絵画もそうだがキュビズム的な感覚が彫刻にも随所に感じられる。個人的な鑑賞の仕方にすぎないが、作者がどうやって手を動かしているのだろうか?みたいなことを考えると楽しい。マティスの彫刻は塊を捉えている感じがした。人物の頭、髪の束、頬、乳房、脚のかかとなど、ボコッとした塊のようで、それが、手で丸めると心地よい大きさ。ちくいち手で感じ取りながら作品を造っているように思えた。絵画作品もそうだけど、心地よいフォルム、塊――マッスとかいうだろうか――を探求しているのが見て取れる。
もうひとつ、大きなマティスの魅力に色彩の豊かさがある。個人的には、フォービズムの赤の配色が印象的だと思っている。でも、それが、どうもあまり好きになれなかった。たぶん私自身が赤系の配色にあまり得意でないこととか関係ありそう。もっぱら、晩年の切り絵のあたりの濃い青色の画のほうが好きだった。
実際の展示を見て、けっこう驚いた。赤がとても綺麗。こんなにも鮮やかだったのか。
たしかに、印刷だと配色の調和はわかるとしても、実物の色の鮮やかさは、どうしても再現が難しい。雑味というか、濁りが出てしまって、それがあまり良い印象でなかったのだろう。印刷物は大好きだが、突き詰めていくと複製物は実物のものにはなりえない。たぶん、この絵の具の鮮やかさは、高画質なモニタでも質感を再現することはできないだろう。どうしてもライブなものには勝てない。
晩年の切り絵の作品は、配色の美しさとフォルムの面白さがあふれんばかりの作品で、『ジャス』の連作なんて、印刷で何度も見たのに涙が出るほど綺麗だった。ああ、なるほど……マティスの彩色には隙がない。たとえば、赤に合うのは隣のオレンジ……とか、ありきたりで明瞭な方向へ逃げず、細かな彩度・明度、がっちりとピースに嵌まるであろう繊細な調和を追求している。このあたりは、ちょっと自分はまだまだ甘いなと感じて猛省した。


この線のストロークの優雅さ。どう呼吸して、どう腕を動かすのか


物販に、マティスが全体を手がけた「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」の告解室の扉をあしらった手ぬぐいがあったので購入した。マティスの豊かさを手ぬぐいにするのは、染めの具合や、色の作りかたを含めるととても困難だろうか。モノクロの図案を選んだもの肯けるなと思った。『ジャズ』の手ぬぐいがあっても面白いけどな。まあ、でも、実際に商品化されて、それで汗を拭く気にはならないかな。スカーフのようにして使うのがいいかな。

教会を撮影したビデオが流れています。必見です

上野でなにか食べてから帰ろうかと思った。私の通った学校は上野にあった。学生の頃にくらべると、駅前がずいぶん綺麗になった、いつの頃から上野公園にはブルーシートが無くなり、その次はハトがいなくなった。ハトがいなくなって、カラスが目につくようになっていたが、いつのまにかカラスも姿を消したようだ。彼らはどこへ行ったのだろうか。
交差点にさしかかると、朝顔を持った人が歩いていた。ああ、入谷は朝顔市だ。そういえば学生の頃には行かなかった。「恐れ入谷の鬼子母神」って言葉も知ったのは、卒業して結構あとのことだった。せっかく上野に通っていたのだから、朝顔市も、もっと美術館も行っておけばよかった。

團十郎朝顔の、海老蔵ならぬえび茶色


この書体が秀逸

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