書き散らし

30分でついさっき思いついたことを書き出す練習。書き散らし。

農耕による技術の発展は個人の技術と等しい可能性の話。

技術を得ようとしたり開発しようとしたりするには時間がかかる。
これと農耕は非常に近いものだと考えています。

原始時代、人は狩る又は採集で暮らしていました。
これはあるものを毎日確保するに等しい行為だと思います。多少の貯蓄はできたかもしれません。
火を扱っていた人は火を通す行為でより長く食を確保できるようになりました。
が、その後の農耕と比べると貯蓄の量は比較出来ないです。
農耕が始まり、人は何を得たか。
時間だと僕は思います。
この時間がめちゃくちゃ大切で、狩る採るをする時間が減り、その分人は他のことに手を出せるようになりました。
そこで何をしたかというと、今ある技術の研磨です。
または芸術や音楽などと呼ばれる宗教であったりその他行為が大きく進化したのだと解釈しています。
その過程で道具も進化しました。
石から鉄、銅の扱いに長けていきました。船も進化したでしょう。建築にも影響が見られます。
こうして技術が発展していきました。
そして戦争を迎え、より優位に立つ為の武器や戦術が生まれ、戦争が無くなればその技術をまた別のことに充て、発展していきました。

これらを人、個人の発展と照らし合わせてください。
人は時間があればその分何かに充てる時間が増えます。
その過程で不毛な時間もあるでしょう。しかし、人を作るのは一見不毛と思われる時間も含めてその人なのです。
ゲームに充てればゲームが上手くなるように、他のことでも同じことが言えると思います。
ゲームで言えば、ゲームへの造詣が深くなり、もしかするとPCに詳しくなったり、ゲーム制作のポイントが押さえれたりするかもしれません。

昨今、無駄な研究費という言葉があります。
予算も時間も無駄だというお話です。
これは現代の発展を止める最悪だと思っています。
狩りと採集の日暮しに戻りたいのかと少し思ったりします。
これは単純に、飽食の時代の影響で、日暮しにならないという現代社会の思い込みによるものだと思います。
どんな研究も止めるべきでは無いと僕は考えます。
それは些細なことでも。個人が何かに思いを馳せることも。

それらができる時間やコストがあれば、より良い社会に繋がると感じます。

時代は流れます。
当時の感覚と今の感覚はどんどん変わっていきます。
どんどん加速しています。
それについて行く、超えて行くには余った時間を作るしか無いのです。余った分を充てていくしかありません。
より技術の発展を目指すのであれば、それに一番効く薬は時間なのです。どんな分野でも。

運による狩と採集ではなく、農耕、牧畜を。


内容が文字数に比べて薄いので、いつか書き直したい。

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