見出し画像

HSPの私が生きる道(16) - 道を切り拓く

目的地に着くために、雑草が生い茂った原野を通っていく状況をイメージしていただきたい。

あなたは、鋭く研いだ手持ちの鎌でひとり草を刈って道を作るだろうか。
それとも、道無き道を多くの先人が通った跡…道らしきものを通って行くだろうか。

どちらの道が「正しい / 間違っている」という話ではない。数的正解のない問題の正誤を考えてしまう時、そこには人のよこしまな思惑が介在しているものだ。

自分はどちらの道を往くのか、選択があるだけである。

「HSP」は、一種の「道」である。提唱者であるエレイン・N・アーロン博士が開拓し、そのフォロワーによって整備されている、まだ新しい道である。枝分かれし、他の様々な古い道に通じている。

「道らしきもの」を通るのは楽であり、効率的でもある。草を刈る鎌を使わなくても良いからである。鎌の手入れも必要ないし、持っている必要すらないかもしれない。

しかし、「道らしきもの」をずんずん進んでいった先が目的地である保証はない。分け入ることができぬほど草がぼうぼうに生い茂っていた時、その手持ちの鎌はちゃんと使えるのか、あるいは鎌をどこに置き去りにしてしまったのか、そんな問題に直面する。

そこで諦めて引き返すか、自分だけの道を切り開くか。その決断は自由である。つまりあなた自身が決めなくてはならない。誰かの後押しがなければ決められないかもしれないが、その「誰か」の存在は決して保証されているものではない。この世は残酷なまでに自由なのである。

「道らしきもの」を進むのに慣れてしまい、自分の鎌を研ぐことを怠っていないか。

おそらくはどんな人でも、いつの日か自分だけの道を開拓することになる。不恰好でも回り道でもまっすぐ進めなくても、それによって人から嗤われても、その道を往くしかない状況がきっと訪れる。あなたを嗤う者にもきっと訪れる。

「鎌を研ぐ」のだ。
あなたにとってのそれがどのような行為か私には規定できない。だが、あなたは自分の鎌の研ぎ方を知っている。きっと体が憶えている。目前の障害を刈りとるために。あるいはいつか訪れる障害に備えて。

少しずつでいい。その積み上げだけが大きな力になる。

次の作品への励みになります。