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HSPの私が生きる道(11) - 今一度HSPを考える

精神的に追い詰められていた仕事を辞め、生活がいったん落ち着いてきたところで、自分の頭の中を整理するために、HSP(Highly Sensitive Person : とても敏感な人) について改めて総括してみようと思います。

HSP診断テスト

新しくHSPの診断テストが作られたようです。興味のある方は、ご自分のHSP度をチェックしてから、以下の文章を読み進めていただければと思います。

診断はお済みですか?
まだの方も、どうぞ続きをお読みください。

この鈍感な世界で

断っておくと、上記のようなタイトルは「伝わりやすくする」ためのキャッチコピーである。センセーショナルさに惑わされて本質を見失ってはならない(自戒を込めて)。

HSP の敏感さは、誇るべきステータスでもなければ、ましてマウンティングの道具でもない。ただの性質、気質、事実である。それは例えば犬が嗅覚が鋭かったり、カナリアが有毒ガスに敏感なのと同じことである。

炭鉱のカナリア

HSPの社会的役割は、しばしば「炭鉱のカナリア」に例えられる。およそ30年前までは、毒ガスを感知するために一酸化炭素などに敏感な性質をもつカナリアが炭鉱に持ち込まれていた。(転じて、金融の世界において「何らかの危険が迫っていることを知らせてくれる前兆」を意味する言葉となっている)

HSPが敏感に感知する刺激は多岐にわたる。
物理的、感覚的、心理的、超常的なものなど、様々な刺激に対して敏感に反応する人もいれば、特定の何か対してのみ敏感な人もおり、その特性には個人差が大きいとされている。

脳のセンサーが、物量・強度のキャパを超えるほど反応してしまうことが多い(脳内ホルモンの分泌が小さなきっかけで過剰になりやすい)ため、為す術もなく疲労困憊してしまうことが多い。
そのことはしばしば他者にとって理解し難いもので、中には疲労を自覚することに疎く、いつも体力の限界まで頑張ってしまうHSPもいる。
結果的に「鈍感」「気分屋」「わがまま」と誤解されたり「気難しい」と評されてしまう場合もあるのだが、実は毒ガスに晒され続け、鳴き叫ぶことにも疲れてしまったカナリアと同じような状態だと言える。

発達障害とHSP

この過敏性と(疲労による)鈍麻のダイナミズムは、自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群などの発達障害と誤解されやすい。自分を発達障害と認識しているHSPの方も多く、HSPと発達障害の境界線は一見曖昧だが、HSPの提唱者アーロン博士は「明確に異なる」としている。

発達障害と診断されながら、自分の特性を存分に活かして社会貢献をしているという人は多い。一方のHSPは、そのような文脈で語られるケースが少ないのが現状である。HSP関連の書籍やコンテンツは徐々に増加傾向が認められるが、マスメディアによる報道を目にする機会はほとんどなく、認知度はまだまだ低いといえる。

HSPは病気ではないが…

HSPは「気質」と定義される。
気質とは、生まれついた脳の構造に由来するものであり、先述した通り犬の嗅覚などと類似のものである。

犬の嗅覚の鋭さは「病気」とみなされることはない。
逆に、麻薬捜査犬の嗅覚が非常に鈍かったとしたら「問題アリ」とみなされ、その任を解かれることだろう。(これは労使関係における雇用側の都合の構図と酷似している)

HSPの敏感さは、組織や人間関係に適応し、承認されることで社会的に価値があるとみなされる。「よく気が利く」とか「細かいところまでよく気がつく」などと評価され、それなりの権限を与えられることも多い。

だが、それと同時にHSP自身はその敏感さに苦しむことも多い。
例えば、音に敏感なタイプのHSPであれば、職場や外出先での雑踏や騒音のひとつひとつがストレスとなり、結果的に心身に不調をきたすこともある。
あるいは満員電車が耐えられないという人や、食品添加物・カフェインなどを受け付けないために外食が苦手という人もいて、自ら行動範囲を制限している場合もある。

想像してみてほしい。あなたが匂いに敏感な犬で、悪臭を放つゴミの山の中に監禁されたとしよう。すぐにでも逃げ出したくて吠えまくるが、次第にその気力さえ奪われていくようなイメージが浮かばないだろうか。

外出が苦手だというHSPの場合、「人酔い(実に曖昧な表現である)しやすい」とか、極端な場合「気合い・根性が足りない」とかいう言葉で片付けられた経験があるだろう。しかし、繰り返しで恐縮だが、「犬は匂いに敏感だから苦しいのだ」と理解していれば、ゴミ山の中の犬を責める人などいない。

つまり、HSPが生まれながらに持っている気質は、所属しているコミュニティに適応している限りは有効だが、環境によっては自らを苦しめ、「病気」の引き金にもなりうるという、まさしく諸刃の剣といえる。

生物界とHSP

高敏感性は、人間以外の生物種にも全体の約20%見られ(Kagan, 1994)、行動抑制システムが関与すると考えられている(Aron & Aron, 1997)。これは脳の中隔海馬が関与するシステムで、脅威にたいして注意を喚起し、危険を避けるものである。

先だって、犬やカナリアの事例を挙げたが、あらゆる生物種の約20%が脳の構造上「特別に」敏感な個体であるという。
種の生存戦略として仲間にいち早く危険を知らせる役割を果たしていたり、あるいは自らの敏感さに苦しめられて環境に適応しきれず、群れからはぐれてひっそりと生きているかもしれない。

人間であるHSPも同様である。社会に警鐘を鳴らす人がいたり、社会からはぐれて苦しみながら生きる人がいたりする。彼らは「鈍感な世界」と折り合いをつける毎日を生きている。

HSPの働き方

一般的に、HSPに向いている職種と言われているのが、自分の感受性を活かせる芸術・クリエイティブ関係、自分のペースを守れるフリーランサー、外出の必要がない在宅ワークといったものである。(いわゆる「内向型」の適性と似通っているが、それはHSPの約7割が内向型に分類されるためである)

これらはあくまでもHSPの特性から導き出された典型であって、仕事を芸術活動や在宅ワークに絞って生活していくのは(金銭的なあてがない限り)あまり現実的とは言えないだろう。フリーランサーとしての生き方にも、収入の不安定さなどを理由に躊躇する人は多いのではないだろうか。

ただし、HSPの人が自らの就労体験について書いたテキストがWeb上に点在しているので、HSPを自覚した人が生き方・働き方を再考するにあたっての参考になるだろう。

生き方のヒント

HSPかどうかの決め手となる最もシンプルな4つの判断軸があり、”DOES”と表現される。

① D(深く処理する)
② O(過剰に刺激を受けやすい)
③ E(全体的に感情の反応が強く、特に共感力が高い)
④ S(ささいな刺激を察知する)

上記4項目が「自分に当てはまる」と思う人は、これらを強みと捉えるか、弱みと捉えるかが人生の岐路だと考えてみてはいかがだろうか。

また、各種性格診断・心理テストも参考にすると良いだろう。
定期的に違った角度から自分自身を捉え直すことは、客観性を育むのに有効である。数ヶ月ほど時期をおいて再度チェックすると異なる結果になる場合もあり、その時の自分の状態や心境の変化を測ることもできる。

この手の性格診断で注意すべきは、「他人に無闇にレッテルを貼らないこと」だ。
(冒頭で「鈍感な世界」などと宣っておきながら何を言うかと思われるかも知れないが、HSPについて端的に表現するためというのが件の表現の意図である。つまり、種の2割が敏感であるということは、裏を返せば8割がそうではない(=鈍感)と言っているに過ぎない)

ここでいう無闇なレッテルの貼り方とは「あなたはこのタイプだから〇〇なんですよ」とか「私と相性が良い/悪いですね」とか本人に伝えることである。雑談のネタにはなるかも知れないが、人間関係を崩壊させるおそれが多分にある(私見で恐縮であるが、血液型や星座を用いた占いなどは形を変えたレイシズムだと考えている)。

レッテルを貼るのはまず自分自身に、である。そこから思考を整理し、他者との人間関係を検証するために「この人は多分このタイプだ」と捉えるのは問題ない(内心の自由は、現行の日本国憲法において保証されている)。

「HSP」にとらわれない

あなたはHSPかもしれませんが、HSPはあなたではありません。あなたはあなた自身です。あなた自身を大切にしてください。

恐縮ながら、今筆者が勝手に考えた言葉である。

HSPという概念を知った人は、しばらくは(3ヶ月ほど)自分の言動をHSPという概念に寄せてしまう傾向があるらしい。実は筆者自身がHSPを知って3ヶ月を過ぎたところで、上記の結論に達したのである。

今、自分は何がしたいか。何を感じ、何を考えているか。自分にとって最も価値があるのは、常にそういうものである。

そういうものを、自分とは脳の構造から違うかも知れない他者に分かってもらおう、共感してもらおうなどと、本当はおこがましいことかもしれない。
ありえないことかもしれない。
そのように、滅多に無いこと、有ることが難しいことだからこそ、共感してくれた人達へ伝えるのだ。
有難う。

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