4.29

『自分は生き物を食して生きるだけの価値があるか?』

11年間命の重さを無視して生きていた代償だったのかもしれない。

何かを食べて生きている、ということを11になってやっと認識した。


『生きる』ことについて考える。

食べること?眠ること?はたまた性行為だろうか?


一番は食べることだろうと思う。

食べなければ死ぬ、とてもシンプル。


幸い私は食べ物に恵まれて生きてきた。

空腹を覚えても食事をするだけの金はあって腹を満たすことができた。
だから、なんとなく生きてきてしまったのかもしれない。




スーパーの鮮魚コーナーにはたくさんの魚の死体が並んでいて

隣には豚だとか牛だとかの死体のスライスがあったりする。

脂肪と赤身の境もわからなくなるまでぐちゃぐちゃになったミンチもあるかもしれない。




なんだかなぁ、と思う。

なんだか、自分が怪物のような気がするのだ。


生物を狩って生きていればもっと命を感じて生きれるのか?というと、そうではないと思う。



今から六年ほど前に飼っているメダカがパタパタと死んでいったとき、私の心は同時に麻痺していったから。


一匹の死に泣いて、震える手で30分かけて庭に埋めていたはずが、割箸でひょいと水槽からつまみだし手際よく土を掘れるようになっていた。


やっぱり自分は怪物なのかもしれない。





自分にはそれを食べる価値があるだろうか?
それを食べて生きながらえて自分は何ができるだろう?


ここまでくると何に価値があるのか、何を価値と呼ぶのかよくわからなくなってくる。

思考をそこまで巡らせて、自分の存在意義もわからないまま3年を生きた。



今年は15歳になる。
何か変わっただろうか、少しでも価値のある人間になれただろうか?

──なれていない。


無駄にしてしまった、3歳年をとるだけのための生物を、食べ物を。

もうそんな浪費をしたくなくて地面に足をつけられない。


眼下に住む蟻はもしかしたら私なんかよりよっぽど優しい人生を送っているのかもしれないね。


あと3カ月がたてば15歳、自分の意志でドナーになれる年齢。
もしドナーカードを手に入れたら何か知れるかもしれないと思って生きてきた。





まだ何も見つからない、                                   15歳まであと3カ月。

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