特殊学級へ..

 お袋の情夫は、おれに不謹慎なことばかり躊躇なく吹き込んだ。
小学校一年生なのに「クンロクを入れる」だの「空気いれられて」だのとおかしな言葉を使い、教師には情夫から「空気いれられた」とおりの振舞いをした。当時の公僕は人手不足から能無しの就く職業であり「でもしか」という言葉が流行していた。公務員に対する蔑称であり「公務員に(しか)なれない」「教員に(でも)なるか」という意味の「でもしか」だ。
 おれは入学早々、教師から何か質問はあるか、と問われてこう述べた。
「先生はどこの大学を出ましたか?東京大学を出ないと勉強は教えられませんよね」すると教師の態度は残忍な虐殺者のようになった。
民生委員と叔母に連れられて格子窓の病院で検査を受けた。
〼のなかの図形を数えたり、直線の上を眼を瞑って歩いたり、
試験問題などは読まずに出鱈目なことを記入すると、結果をみた民生委員はかぶりを振った。小学校に昼飯を食べに行くとおれの席はなくなっていて、別の教室に誘導された…。
特殊学級だった。初めてみる障害者の子供たちにはシンパシーすら感じ、
それまで感じたことのない「優しい」感情が芽生えたことに驚いた、が授業は相変わらずも退屈そのもので、汚い県営団地、テレビの無い自宅でラジオの寄席中継を聴いているうち、落語家の弟子となれば家を出られることに気が付いて噺を憶え、五代目小さん師匠の模倣することに腐心した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?