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わたしのことについて…
みなさん こんにちは
今回は私自身のことについて紹介させていただきます。
私は現在カナダバンクーバーに住んでおります。カナダ在住歴は今年で15年目に入ります。
主人と私そして、たくさんの植物にかこまれた毎日を送っています。
カナダに来るきっかけとなったのは、介護士のディプロマを取ってリビングケアギバーとして働き、自分の力で永住権を取ることでした。
ところが、今の主人と出会ってからこの予定が大幅に狂い、仕事も介護から保育に変わり、現在に至っています。
人生とは本当に面白いものだなぁと思います。
今回は私Chichirollとは何者なのかをお話ししたいと思います。
どうか最後までお付き合いくださいね。
私の生まれ故郷
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私の誕生月は1月、寒い日の朝だったと母から聞いています。
私が生まれた場所は福島県会津若松市です。会津若松というと鶴ヶ城がある城下町ですが、私の両親は市から少し離れた農村地帯の出身です。
父の実家は会津日新館という武士の学校だった場所の裏にある町、河東町です。
母の実家は会津若松市からさらに離れた新鶴村(現在は会津美里町となっています。
私は会津若松で生まれてから、すぐに東京都三鷹市の牟礼団地のそばにて暮らしていました。というのも、父の会社の社宅がそこにあったからです。
両親は共に会社員として働いておりました。
畑や林で走り回った子供時代
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ほどなくして両親が埼玉県所沢市に一軒家を購入し、そこに小学4年生まで住んでいました。
このあたりは、戸建てばかりが集まっていましたが、同級生の子供たちも多くいつもわけのわからない緊張感があった記憶があります。
ほどなくして、私は所沢市でも少し中心部に近いところに引っ越しをしました。
中学生まではおとなしくあまり目立たない子供でした。
埼玉県内の高校、短大へ進学し、就職も自宅から通勤できる距離でした。
人生最初の転機は25歳
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なんとなく平凡に過ごしているように見えると思いますが、さまざまま葛藤を抱えていました。
周りの友人は就職して数年で結婚し、家庭を築いていたこと、家庭を持つことよりも、働いて自分のキャリアを積みたい、資格を取ってもっと責任のある仕事をしたい、とずっと思っていました。
25歳の時に今まで働いていたある知的にハンディのある方の生活施設の職員を辞め、ソーシャルワーカーの専門学校に通う決意をしました。
そこでの経験はとっても刺激的で、クラスメートの大半は大学卒業したての人ばかりでしたから、話が合わずついてゆくのがとても大変でした。
この学校を卒業し、社会福祉士(ソーシャルワーカー)になるための受験資格を取り4年がかりでようやっと合格することができました。
ソーシャルワーカーになってみて
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実際に仕事をしてみると、思ったより多忙で毎日が飛ぶように過ぎてゆきます。
時には時間が過ぎてしまったことも忘れてしまい、時間の感覚がなくなってゆきました。
その頃は社会福祉法人の経営するグループホームに勤めており、夜勤もしていましたから、夜勤が明けると疲れ果ててヘロヘロ状態でした。
その当時、ソーシャルワーカーという資格は医療分野や精神病院などの分野でも必要とされていましたが、「社会福祉士」というくくりにされていました。
ですから、医療の分野で働きたいと思っていても、私の学歴が応募資格に該当しないために受けられないということがありました。
そのうち、私の好奇心は海外の福祉制度に目が移っていったのです。
念願のカナダ留学とディプロマ取得
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2009年5月にバンクーバーに移住しました。最初に語学学校に入って英語力を上げ、その後介護士の免許を取るための専門学校に入りました。
すべて順調に行ったわけではなく、英語力があまり伸びず介護士の学校に入るのは難しいと言われました。
が、無事に合格することができました。
この学校には地元学生もたくさんいたため、コミニュケーションではかなり苦労しました。
ですが、幸いディプロマを取ることができました。
介護のディプロマは持っていても、市民権もしくは永住権がなかったため就職先を探すのがとても難しく、諦めかけていました。
履歴書も片っ端から送りまくっていたのですが、見つけることができず悶々とした毎日を送っていました。
ちょうどその時、お付き合いしている人がいました。結婚をし、永住権を取得すると、時点は好転し、就職がすんなりうまくゆきました。
それは、保育の仕事でした。はじめは正規の保育士ではなく、Responsibe Adultsという資格を取りました。
そして市教育委員会がの生涯教育プログラムで保育士コースをやっていることを知り、州の移民受け入れプログラムの語学講座で英語力を上げコースに入りました。
公立のコースなのでとても厳しく、しかも夜間でしたので、授業後はいつも疲れてヘロヘロでした。
こうしてようやく手にした保育士免許でした。
というわけで、私の自己紹介をざっくりと書かせていただきました。
最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。
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