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いきもの愛づる父①

84歳の父は母と二人で暮らしていたマンションの一室で一人暮らしをしている。そこのベランダは割合広く、一角には鉢植えが並んでいる。私が子供のころに住んでいたマンションでも、ベランダには鉢植えが所狭しと置かれていたから、植物を育てるのは好きなのだと思う。植物を育てるのが上手な人は『みどりの指を持っている』と聞いたことがある。父はまさにそのタイプだ。その才能は娘の私には引き継がれておらず、大学生で一人暮らしをしているときに実家から分けてもらったベルフラワーが死の瀬戸際に瀕し、帰省の際に持ち帰って緊急入院させたこともある。ベルフラワーは見事回復し、再度愛らしい紫色の花をつけるようになった。私はベルフラワーの幸せを願い実家に置きっぱなしにした。

母亡き今、それらの鉢植えの面倒は当然のように父が見ている。1か月ほど前実家を訪ねた際、いつもの習慣で窓の外を覗いた。夕暮れ時で薄暗くなったベランダに何やら黒く蠢く物体を認め、ぎょっとして二度見したところ、そこには

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鉢植えの葉に群がる20体以上の毛虫。黒い体にオレンジの線が入ったトゲトゲしくもパンクな外見。

「スミレの葉に毛虫がいるなあと思っていたらあっという間に大きくなって。おかげでスミレはたぶん全滅。」

がっかりするのかと思いきや、意外と楽しそうに説明してくれる父。そういえば父は植物を育てるのも好きだが、小さき虫の命を大事にするひとでもあった。この毛虫なんだろう、と興味ありげだったので、写真を撮って我が家の息子たちに質問すると『ツマグロヒョウモン』という答えが返ってきた。

「うん、たぶんそろそろ蛹になって、春になるとオレンジ色の綺麗な蝶になると思う。スミレの仲間を好んで食べる、って図鑑にも書いてあるから間違いないよ。」

中2長男が電話をかけている先で、父がそうかそうかと頷く様子が頭に浮かぶ、ほほえましい光景だった。

それから2週間ほど経過すると、あの黒いモジャモジャの一群は姿を消し、窓ガラスの桟に2体の蛹だけが残った。20匹ほどいたであろう毛虫の大半は小鳥についばまれてしまったのだろうか。そういえばベランダには鳥の糞も多数落ちており、小さな生存競争が繰り広げられたであろうことは察しがついた。厳しい世の中だ。

スミレはすっかり食い尽くされていたが、父は気にする様子もなかった。そういう人なのだ、父は。

ところがその1週間後、再び実家を訪ねた私の目に飛び込んできたのは、室内の小さな紙箱の中で所在投げにウロウロする、あの黒字にオレンジ線のパンクな毛虫だった。

「先客がスミレを食い尽くしたところに現れて、気の毒だから野菜でもやろうと思って入れたんだけど、キャベツには見向きもしない。悪いがまた息子くんに、エサの候補を調べてもらえないか。」

どんだけ面倒見がいいのだこの人は、と呆れながら帰宅し息子に再度依頼した。しかし、手を尽くして調べても『スミレの仲間を食べます』としか書かれていなかったそうで、それを携帯電話のメッセージで伝えたら悲しまれた。なので、苦し紛れにGoTo花屋を提案したところ、結果的にこれがヒットしたようで、感謝された。

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花屋の店員さんも、まさか虫に食わせるためだけにパンジーが買われていったとは思うまい。パンジーとて食用植物としてこの世に生を受けるつもりはなかったのであろうが、ある意味大変役に立つ使命を帯びたわけであるから全うしてほしい。

来年の春には、オレンジ色の蝶を愛でる父の姿を拝めるのであろうか。



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