見出し画像

いきもの愛づる父②

あれは私が小学校3年生くらいの時。

学校から帰ると、ふろ場に大きなタライが置いてあり、その中で泳いでいた。

鯉が。

困り顔の母から、マンションのお隣さんの釣果のお裾分けなのだと聞いた。生きた鯉のお裾分け。子供の目にも斬新だった。私と二つ年下の弟は、鯉だねえ、そうだねえ、とふろ場のタライを眺めて楽しんだ。

が、すぐにかわいそうになった。何せ鯉は瀕死の体で狭いタライをたゆたっている。せめて風呂桶に移しては、と母に提案したが、勘弁してくれ、と断られた。

それにしてもこの鯉は一体どうなるのだろうか。母は魚屋で購入した丸のままの魚を捌くことはできるが、生きている鯉を始末するのは気が進まないという。海の魚と違って泥臭いだろうし、とも言った。母は静岡の港町の出身なのだ。淡水魚に対しては苦手意識があったのかもしれない。

途方に暮れているところに、父が帰宅した。

母から事情を聴取し風呂場の鯉を確認して間もなく、父はどこぞに電話をかけたかと思うと私の方を振り返り、こう言った。

「今からいつもの寿司屋に行ってくれ。」

『いつもの寿司屋』とは、しばしば家族で食事をしていた近所の寿司屋のことだ。聞けば、魚のタライに空気を送り込むためのエアーポンプを貸してくれるよう頼んでおいたという。それを受け取りに行くのが私に課せられたミッションだった。どうやら父は、瀕死の鯉の蘇生を試みるつもりらしい。私は、わかった、と頷き寿司屋へ走った。

行きつけの寿司屋では、大将がビニール袋に準備を整え私を待っていた。

「先生らしい話だねえ。魚も助けようってのかい。」

寿司屋は父が医者であることを知っていた。

「せっかくだから、この薬も持っていきな。元気になるよ。」

魚にも気つけ薬というものがあるのか、と感心しつつ白い錠剤も受け取り、ありがとう、と礼を言って私は家に戻った。

鯉の入ったタライにはエアーポンプが設置され、ぶくぶくぶくと盛大に泡を噴き出した。例の謎の錠剤も投入された。

家族の入浴時、タライは廊下に出されていたが、その時も鯉は気だるげに揺らめいていた。

夜が更けて就寝する時に、風呂場のタライをもう一度見に行ったが、鯉は静かだった。やっぱり死んじゃうのかな、かわいそうだな、と思いながら私は床に就いた。


深夜。


ぶわっっしゃーーーーーん!!!

びちびちびちびちびちっっっっ!!!!!

闇を切り裂いて大きな物音が室内に響き渡った。

家族4人が布団から飛び起き、寝室を出て見るとそこには

鯉がいた。

風呂場のタライを飛び出し、おそらく脱衣所の床をも滑り出て、フローリングの廊下で、跳ねていた。びちびちと。ハトヤのCMの鯛もかくやとばかりに。

鯉、元気になりすぎ。

父は寝間着に軍手をはめて、鯉をタライに戻した。もう飛び出すなよ、本当に死んじゃうから、と命の恩人に言い含められたのが効いたのか、翌朝までは大ジャンプを控えたらしい。

明けた翌日は日曜日。

お父さん、あの鯉どうするの? と私と弟は聞いた。

父は答えた。

「池に、放す。」


早朝、鯉の入ったタライは黒いビニール袋で見えないようにくるまれ、ママチャリの荷台に乗せて固定された。父はその自転車を押し、子供二人はタライを支えながら後ろについて歩いた。向かうは広大な敷地を有する某大学の緑豊かな庭園。周りに人眼の無いことを確認しつつ、父はタライの中身を池に放り込んだ。

黒い鯉は、ゆったりと池の中で身をくねらせ、すいすいと泳いで岸辺を離れていった。

今にして思えば、釣ってきた場所と違う池に放したら、寄生虫だの生態系だのの問題で完全アウトな所業なのだが、子供心には割と感動的な光景だった。そして、うちの父って面白い、と思った。

鯉こくにでもなるはずだった鯉のその後を、私たちは知らない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?