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稽留流産と自然排出の話

あまりに突然の出来事だった。今の自分にできることは「しっかりと記録すること」だと思い、とりあえず書いている。

妊娠していることが分かったのは7月のはじめ。スマホの画面に映る口コミを見ながら薬局で妊娠検査薬を買った。トイレで検査を行い、3分後に検査結果を見た。陽性だった。たまたま主人が動画を撮っていて、画面に映る私達は、戸惑い半分嬉しさ半分、といった様子。でもとても幸せそうだ。

診察台から見たエコー画面には、小さな袋の中に丸いものが2つ映っていた。中央でもっと小さな丸いものが元気に動いている。心拍が確認できた。自分のお腹の中に小さな生命が宿っている。このときは、まだどこか他人事だった。

それでも。病院からもらったエコー画面の動画を何度も観るようになる。2人だけで呼び合う赤ちゃんの名前を付ける。インスタグラムで出産レポの漫画を読むようになる。ユニクロに行ってもベビー服に目が留まる。少しづつ、母としての実感が湧いていたところだった。

出血も腹痛も無く、つわりも軽い方で何もかも順調。「次の診察で順調だと判断できたら、母子手帳交付のための書類を渡しますので宜しくお願いします」と受付の方から言われた言葉を思い出し、印鑑などを用意して病院へと向かった。3回目の診察だった。

予定では10週3日目。「早ければ臍の緒が見えるかも?」最近インストールしたアプリ「トツキトオカ」の情報を見て、ワクワクしながら待合室で時間を潰していた。番号を呼ばれ、処置室へと向かう。


「動いていないですね。」


先生の声が処置室に響く。診察台から降りて下着を履く。手が冷たくなっているのに気づく。詳しい説明を聞きに診察室に向かう。私はなぜかとても冷静だった。

先生からは「妊娠初期の流産はお母さんのせいじゃない。染色体による異常が原因だから自分を責めないでね」と声をかけていただいた。先生はとても淡々としていて、看護師の方々は下を向いていた。赤ちゃんは9週3日ほどの大きさで、約2センチで成長が止まっていた。俗に言う「9週目の壁」に私はぶち当たったのだ。

賛否両論あると思うけれど、私はこのとき先生が淡々と接してくれてとても救われた。ひどく優しい声をかけていただいていたなら、この悲しい事実に胸が押しつぶされそうになっていたと思う。淡々と接してくれたことで、「妊娠初期の流産はよくあることなんだ」と理解して「だから私は例外じゃない。大丈夫」という風に頭を切り替えられた。

帰宅してからも信じられず、でも、診察後のルーティンとなっていたエコー動画は観ることができなかった。主人に電話して、母に電話して、少しづつ受け入れるための作業を始めた。

手術は2週間後に予約した。前処置としてラミセルを入れたあと、掻爬法で処置を行う手術だ。「手術自体はものの10分で終わるし、全身麻酔をするから痛くないよ」と説明を受けるが、「前処置のラミセルがとにかくひたすら痛い」というツイートやレポを見てビビる。

自然排出は手術前日の夜2時から始まった。23時には寝床にいたが、ひどい便秘のような腹痛が走り、2回ほどトイレに行く。実際便秘だったため、まさかこの痛みが自然排出が始まる前兆の痛みだとは思っていなかった。

2時ごろ。便座に座っていると「パシャッ」と音がして何かが身体から落ちた。トイレットペーパーには真っ赤な血がべったりとついていた。

そこからはずっとエンドレス。とにかく血の量がすごい。どれほど出血しているのか考えるのも怖いほど、次々に流れていく。出血と同時に、2センチ〜5センチ程度の血の塊が数分単位で出てくる。便器が真っ赤に染まっていくのを確認して流す。

腹痛はあるが耐えられるくらいの痛み。まだこのときは、母や主人にドア越しに声をかけられても「痛い、けど、でもまあ大丈夫!」と応えられる余裕があった。

4時ごろ。体力が少しづつ無くなっていく。出血が落ち着いたタイミングを狙って寝床で横になるも、夜用のナプキンがものの数分で赤色に染まり、ズボンにも染まり、布団にも染まり、またトイレに急ぐ。このごろから、トイレに座っていると自分の足が震えだし、冷たくなり、痺れが出てくる。視界が暗くなりそうになると、水を飲んで少し落ち着く、という状況になる。

血の量は変わらず止まらない。横になりたいけれど、横になれば無意識に塊を排出するのを我慢してしまうため、「しんどいけれどトイレで塊を出す方が楽だ」という思考回路になる。「ここまで来れば全部出し切ってしまいたい」という思いの方が強かった。

痛みに関していうと、のたうち回るほどの痛みではなかった。生理痛のとき、時たま雷のように走る、思わず「いたたたた…」と声が出てしまうほどの痛みが、2分くらいの間隔である程度。主人と母は、腰をさすってくれたり、尾骶骨のあたりを押したりと懸命にサポートしてくれた。

「これはほぼ出産だ」と思った。

5時ごろ。雑巾のように子宮が絞られる痛みが続く。血の量は変わらず止まらない。「いつになったら終わるんだろう」という不安が襲う。眠気と貧血で何度も意識を失いかけて、トイレに座っていられなくなる。身体に力が入らないため、前屈みのような姿勢を取り、便器の前に片膝で座る母に思いっきり全身を預ける。視界が暗くなり、何も見えなくなる瞬間が何度もあった。水を飲みたいけれど身体に力が入らないので吸えない。でも水を飲まないと本格的に身体がやばいのでなんとか飲む。同時に、ロキソニンと、鉄分の錠剤、ウィダーインゼリーを少し口に入れる。

この状態で7時まで唸りながらトイレで過ごした。出血が始まって以来、はじめて「助けて」と、口に出さずにはいられないほどしんどくなり、過呼吸になる。トイレの狭い個室で二人の人間が閉じこもっているため、熱中症や脱水症状も心配になる。扇風機を扉の先に持ってくるが、直接風に当たると尚気分が悪くなり「じゃあどうしたら良いんだよ」とパニックになり、また意識が飛ぶ。この時、ゆっくり死を意識した。後から聞くと、母も同じく「もしかしたら最悪のケースもあるかもしれない」と感じたらしい。

8時。猛烈な眠気に襲われ、なだれ込むように寝床に倒れる。30分ほど眠りにつく。

9時30分ごろ。母が車を出してくれて、主人と一緒に乗り込む。車の中一体にバスタオルを敷いて、完全防備で病院へ向かう。病院に着くなり点滴を行い、横になりながら診察を待つ。

数々の自然排出のレポを読み漁ってきたが、どうやら胎嚢はグレーがかった色味らしく、排出されたら一目で分かるらしい。ただ、私はそのグレーのものが確認できなかった。便器の中を確認するも、途方もなく真っ赤で、便器に手を突っ込んでも血の塊が纏わりつくだけだった。また、体力の限界もあり、確認する前に流していた時もあった。確認できなかったのは胎嚢だけでなく、赤ちゃんもだ。会いたかった。できたら撫でたかった。でも私にはできなかった。「いやもしかして、まだお腹の中にいるかもしれない」そんなことを考えていたら番号が呼ばれた。

エコー画面を確認すると「ほとんど綺麗に無くなっているので、手術は必要ないですよ」と声をかけていただいた。ああ、やっぱり赤ちゃんは流れていた。悲しい。会いたかった。ごめんね。頭の中を後悔が駆け巡った。しかし続けて「周期的に大きな流産に該当するので、自然排出はかなり大変だったでしょう。よく頑張りましたね」という言葉をいただき、少し報われた気がした。

自然排出は手術で処置を行うよりも身体の回復が早いらしく、実際に当日の夕方頃には普通に歩けるくらい回復した。「入浴は2日避けて」と言われたくらいで、当日からシャワーはOKだった。

ちょうど自然排出から1週間経った。出血も生理始まってすぐくらいの量があるくらい。腹痛はたまにあるが、本当にたまにだ。診察でも「普通の生活をして構わない」と話があったので、少しずつ筋トレなども再開する予定だ。ちなみに性行為もして良いらしい。しかし、妊活は生理が1回来てからとのこと。

本当にいろんなことがあった。切り替えることはできたが、乗り越えることは到底できそうにない。

流産を告げられたときと、何も動いていない画面をもう一度確認したときのエコー動画を観ることは、きっと一生観ることができない。先走って買ってしまったベビー服も開封できそうにない。「トツキトオカ」のアプリは、泣きながら停止のボタンを押した。

でも、友人らの子どもはかわいいままで良かった。街で出会う子どもも相変わらずかわいい。SNSで流れてくる子どもの投稿も見ていられる。ただこれは「私の場合」なだけで、恐らく見ることができない人が大半だと思う。それが普通だと思うし、ゆっくり時間をかけて整理していけば良いと思う。

もしも私と同じように稽留流産になった友人がいたら、可能な限り早い日程で手術することをお勧めする。今回のような自然排出が、出先や仕事中に起きていたら…と思うとゾッとする。もちろん1人でも稽留流産を経験して欲しくない。

とにかく今はゆっくりと自分の身体と今後のことに目を向けて、自分なりの落とし所を見つけていこうと思う。このレポを発見してここまで読んだ方は、きっと同じような経験をしている人たちでしょう。どうか安心して眠れる日が1日でも早く来ますように。

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