ペン

机の上にペンが置かれている。昨日僕が彼に貸したペン。 また礼も無しだ。


今日も彼は自制が効かない様子で耳障りな声を垂れ流している。休み時間と授業の違いなんてのは彼の頭では理解出来ていない。そして今日も悪びれた様子の演技をしながら

「ペン、貸してくんない…?」

と声を掛けてくる。

コマンド化された手順に乗っ取り、ペンを探そうとする ”フリ” からペンを手渡すまでの流れをこなした。いつものこと。何回貸したか分からない。こういうカスが事故で死ねばいいのにな、なんて思いながらミミズの這ったような字をノートに並べていく。横目で見ると、隣の彼は貸したペンを握りながら虚構を眺めていた。 目標もなくフラフラと生きるだけ、常にどこかで人を見下し、嫌な所だけをクローズアップして”感性が劣った人間ばかりである”と信じて悦に浸るだけのの自分は今日も一日を片付けた。その日、ペンは返ってこなかった。


ハッキリ言えば理解している。流行りの音楽を聴きながら全ての上澄みだけを汲み取ったような生活をしている方が幸せだし、カップルYoutuberを素直に応援して楽しめる人間のほうが絶対に幸せなのは理解している。こんなことを考えている人間が気持ち悪いのも理解している。ただ、どう頑張っても生まれ持った感性は変えられないし、曲がったプライドは他人を見下すことで保たれている。10代で事故死でもして、何も成し遂げず、何も残さず、

”まだ若いのに”

という理由だけで無駄に惜しまれてこの世から消えるもの悪くないと思ったりしながら僕は帰宅直後のの薄暗い自室で時間を溶かしていた。

別に自殺願望がある訳ではない。ちょうどよく嫌な人間が現れて、そんな人間を見下しながらただ惰性に日々を過ごし、いつの間にか死んでいればいいなと感じただけだ。


夕食を済ませた僕は引っ張られるように自室へ向かい、イスにどかっと腰を下ろした。だいだい色の間接照明が照らす暖かい部屋でスマホとの睨めっこが始まる。さっき見た時には22時だった時刻は手品のように3時に変わっていた。「貸したペンどうしてんだろ」大して気にも止めていなかったくせに、ふと思い出してペンが返ってこないことに腹を立ててみた。嫌な人間は常にどこかにいた方がいいのかもしれない。嫌な人間が生み出す”嫌な行為”を嫌うことで自分は淡白な生活に色味を付けていることを自覚していた。嫌な人間が消えてしまえば自分のアイデンティティも消えてしまうような気がしてならなかった。気持ちの悪いことを考えているといつの間にか僕は椅子の上で寝そうになっていた。
最近ベッドで寝たのいつだっけ




太陽の代わりを務める間接照明が意味を成さない程度に本物の太陽の光が部屋に差し込む。嫌々と椅子から重い腰を上げ、シャワーで強制的に体を起こした。最近着てなかった服ってどれだろう。消去法で服を選び、コップ一杯のお茶だけをエネルギーに僕は学校へ動き出した。


ギリギリに教室に入り席に着くと、それを上回る”ギリギリ”で彼も教室に入ってきた。忙しない動きを見せながら無駄に物音を立てて彼は僕の隣に座った。

授業が目前になると彼は僕が貸したペンをこちらに見せながらいそいそと「ごめん、今日も借りるね」と話しかけてきた。もうそれお前にやるよ、と言い捨てたい気持ちを飲み、適当な返事を返す。今日も魂を殺して作業のように一日を終わらせよう、そんな心持ちを作ると同時に授業が始まった。


ノートに書き留めるふりをするために現代アートのような線を無造作に書いていると、時計の針は10時40分を指していた。15分もの休みが得られる11時まであと少しだ。そんな事を考えて浮ついた気持ちでいると、この時間自分はずっと現代アートしか書いていないことに気がついた。マスクで覆われて見えもしないのに、冷静な顔を取り繕いながら僕は物凄い勢いで板書をノートに書き留めていく。チャイムが鳴り教師が生徒を立たせて終わりの挨拶をしようとする中、僕はペンを動かして最低限の板書を何とか終わらせた。

休み時間に入り義務的な流れでスマホを持ち出した僕は、既に見尽くしたTwitterのタイムラインをもう一度見返す。隣の彼はどこかへ行ってしまったようで、僕の周りは整然としていた。
「時間の配分を間違えた」と感じつつ休み時間が残り5分に迫ろうとするタイミングで僕は急ぎ足で教室を出た。15分もあったのにアホらしいと思いながらトイレのドアを開ける。隣の席の彼が1人で居た。鏡の前で憎たらしい表情をしながら髪を整えている。用を済ませた僕は彼の隣の水道で手を洗いながら、「さっき授業の教師の話が分かりづらい」などと他愛もない愚痴を交わした。嫌な人間に嫌な素振りも見せずに適当な会話が出来る自分に誇らしさすら感じた。

話にオチがつき、次の授業を間近に控えた僕と彼は足早にトイレを出ようとする。先に出ようとした僕は、散々に彼を嫌っているくせに気をつかってドアに手をかけ後ろを振り返った。様子がおかしい。彼は胸に手を当て苦渋な表情を浮かべている。そしてそのまま倒れ込んだ。速くなる自身の鼓動とは対照的に、僕は電源が切れたようにその場に立ち尽くしていた。倒れ込んだ彼と2人だけの空間に永遠のような静寂が流れる。

ふと我に帰った僕は、ただ事ではないと思い彼に声を掛けた。倒れ込んだ彼の身体を不用意に起こしてみるが反応がない。教室に戻って先生を呼ばなくては。いや、今すぐここで自分のスマホから119番に通報するべきでは? 時間にして1,2秒もない間に思考が駆け巡る。その時、倒れている彼の胸ポケットに見覚えのあるものが収まっていた。僕のペンだ。

僕はおもむろにそのペンを抜き取り、ポケットにしまった。そして何事も無かったかのように教室に急ぎ足で駆け込み、席に着いた。

授業が始まったが、当然 ”彼” は教室にいない。
不審に思った先生は怪訝な表情をしながらも冗談交じりに

「〇〇くん、まだ教室にいないの? 困った人だねぇ」

と呟いた。時間にルーズな彼が教室に居ないことは日常茶飯事なので先生もあまり気に止めていない様子だ。クラスの生徒も呆れた様子で話を聴きながら周囲と顔を見合わせて各々が笑っている。僕もそれになぞらう様に呆れた顔をしてみせた。鼓動は恐ろしいほどに速い。


授業が始まって20分ほど経っただろうか。流石の先生も痺れを切らした様子で彼を探しに出た。いやに落ち着いていた僕は教室を出ていく先生を横目にポケットからペンを取り出し、ケースにしまった。

数十秒ほど経っただろうか。慌てふためく先生の声が聞こえる。倒れている彼の姿を見つけたのだろう。教室からトイレまではほど近いので彼が見つかるのも一瞬の出来事だった。外で慌ただしく動き回る職員達から、異様な雰囲気はすぐに伝わった。クラスがざわつき始める。

10分は経っただろうか。ほどなくしてサイレンが聴こえる。近づくサイレンの音と共に僕の鼓動を打つスピードは限界を迎えていた。あの時の彼のように心臓を押さえ込んで倒れそうな気分だった。それと同時に彼に貸していたペンに目をやった。たかが100円そこらのペンと引き換えに彼の命が失われるのかもしれない。そう思うと急激に鳥肌が立つと同時に妙な高揚感を覚えた。「アイツ死ぬのかな」


気を落ち着かせるため、スマホを手に取る。彼が胸に手を当てて倒れ込んだ様子を思い出し、

「狭心症 死亡率」 「心筋梗塞 死亡率」

などと手当り次第に調べてみる。少なくとも彼が倒れ込んでから20分以上は経っていた。もし彼がいずれかの症状に当てはまっていれば確実に死ぬのだろうか。そんなことを思いながらスマホを机に置いた。マスクの下で口元が歪む。あんな奴も本当に死ん出しまえば ”まだ若いのに” という理由だけで周りは無駄に悲しんでくれるんだろうな。そう思うと不覚にも彼が少しだけ羨ましかった。僕にはまだ途方もない人生が残っている。


救急隊らしき人間が階段を
駆け上がってくる音が近い__














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