洗剤とシックス・センス

またやってしまった。

「この汁にご飯入れて食べよっかなー。洗剤とか入ってないよね?」
「まだ入ってないよ。大丈夫。」

朝、台所の洗い場の横に置いておいた、おでんの残り汁についての夫婦の会話である。我が家の朝は妻が畑に出ることが多いので、僕が子どもたちと食べきったあと、妻は畑から戻り、一足遅れて食事をする。こういう場合があるので、僕は汁をすぐ捨てずに一応取っておいたのだ。確かに旨みたっぷりだし勿体無い。
「まだ入ってないよ。大丈夫。」と言った僕。続けて思い付いたまま、「シックスセンス。」と言ってしまった。なんのリアクションも無かった。しかし、きっと心の中では「またオダくんは...」とか思われたに違いない。くそう。

こういう「映画例え」を、よくやってしまうのだ。何かの映画のシーンやテーマを彷彿とさせられることがあると、ついつい言葉にしてしまう。
先日も、ミュージカルなどに出演している女性と話していたときのこと。彼女はまだ20代の初め。ところが、「もう自分の限度や出来ることはわかってしまった。」と言う。そこで僕は『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の話をしかけたが、グッと我慢した。これは偉かった。

「映画例え」は、そんなに良い趣味では無いとは思っている。まず相手がその作品を知らないことも多い。その上、筋道立ててうまく説明が出来るスキルが無い。なんとかヘタなりに概要を説明出来たところでようやっと、何故その作品の話を持ち出したのかを語ることになるが、結果、相手にとってそれがピンと来なかった日には目も当てられない。遠回りに相手の話のエモーションを遮ることになる場合が多いのだ。一方的で、申し訳ない。
なるべく我慢している。我慢しているのだが、きっと無自覚にやってしまっていることもあるのだろう。

自分の境遇を気にして、持っている可能性を自分で閉ざしてしまっている主人公が出てくる『グッド・ウィル〜』をふと重ねたのだが、何せ僕が中学生のときの映画だ。語らずにおいて正解だった。しかも、ストーリーを説明してるうちに、「このおじさん涙ぐんでる?」となった可能性がある。やめておいて本当に良かった。だけど、何か言ってやりたかったのだ。まだ早いぞって。
慌てなくても、いずれ彼女にとってのベン・アフレックが見つかるかもしれない。僕も映画の力を借りずに何か語れるようにならねばと思う。

何か、良いこと書いたふうになってしまって、こんなはずではなかったなと、読み返す。が、推敲とかしないのだ。ぽんぽん書くのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?