正しい怖がり方が見つかるまで

コロナウィルスのことを真正面から誰かと語り合う機会が減ってきてしまった気がしています。

「どうやらこういうウィルスなのだ。」という実態が、少し掴みかけた気がした頃に変異株というやつが登場して、情報も錯綜していて、でも自分で情報を探すしかなくて、どんな情報に行き当たったか、誰の言うことを信じたいかで、みんなバラバラになってしまった。
そして、ダラダラと長くて最早意味を感じられない緊急事態宣言への不信感と疲れで、「やってしまえ!」みたいなムードもあるなと感じます。それを許せない人もいる。なんとなく流されてしまう人もいる。

僕は正直、状況に流されるタイプなので、東京にも仕事に出ていきますけど、この夏の感染者数を目の当たりにして、しかもほとんど新しい対策がされない雰囲気に、ちょっとたじろいでます。ほんとは全員で何もしないで家にいれるならそのほうがよいのではないか、という考えです。
でも、そこがウチの奥さんと正反対。「感染者数なんか数えても意味無いし、罹ったら罹ったで治せばいい。やりたいことはやる。」という意見。豪快でせっかちな人なので、ちょっと乱暴に聞こえるけど、その向こうには、コロナを特別視しすぎて、他の病気や妊婦さん、医療を必要としてる人たちが苦しんでいるから、という考えがあります。実はつい最近、我が家がすごく仲の良いご近所さんのご家族にそのような形でのつらいご不幸があったばかりであるということもあり、怒りの感情も込められています。それは最もだし、大賛成。
でも、僕としては、だからといってむざむざ罹りに行くようなリスクは今は避けるべきとも思う。
それはやっぱり『コロナがまだどんな病気かが分からないから』という理由に尽きます。もし僕や奥さんも罹って重症化したり後遺症が無いかどうかはもちろん分からない。子どもたちが罹らないかも分からない。さらにご近所さんやメンバーや友達、その家族にうつって同じように無事でいられるのか...全部が『運』と言ってしまえばどんな病気だってそうだけど、その『運』の部分を減らしてある程度付き合っていけるようになっているのが一括りに風邪と呼ばれるウィルス達やインフルエンザだったりだと思うので、世界の専門家の方たちの考えはどうなのか調べてるわけじゃないけど、少なくとも日本で普通に生きる庶民の感覚で、コロナウィルスに関してはまだそのレベルに達していないと僕は思うのです。
例えばノロとかインフルとかなら、症状の傾向があって、処方される薬があって、家庭内でも対処がある。これは、ある程度『正しい怖がり方』があると言えるという感じがします。
奥さんとも別の人間なので意見や角度が違うけど、最後にこの『正しい怖がり方』のようなものに辿り着きたいと思ってるゴールたぶん一致していて、ただそこに経済的な心配や焦りがあったり、シンプルなストレスがあったり、さらにその差や立場の違いもあるから、それを混ぜ交ぜにして、お互いを敵対することはしたくないなと思います。その上で、やっぱりたまに話し合わないとなーと思うのです。最後まで擦り合わせたり、論破するのはしんどいだけであまり意味無い気がしてて、バラバラであることを確認しつつ、なぜバラバラなのかを見詰めるほうが大事かなとも思っています。

とはいえ、わかっちゃいるのだけど、いきなり誰とでも話せる勇気は、無いな。ひとまず現状の頭の中の整理のためにも、ポッドキャストにして、記事に書いてみました。
ホントはもっと呑気な話しがしていたい。


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