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「アバーヤ」を着たい!~アブダビ通信⑥~

 袖を広げるとそれはまるで、羽化をしたばかりのアオスジアゲハが、ゆっくりと羽を広げているかのように見えた。光沢のある、しっとりと肌触りのよいシルクの黒。肩から袖口にかけて大きな、しかし軽やかな襞が幾重にもついた黒い薄布がふわりと被せられており、足元まで伸びている。その襞は鮮やかなエメラルドグリーンで繊細に縁どられているのだった。このエメラルドグリーンの縁どりにはさりげなく銀色のラメが入っていて、手にとって動かす度にきらきらと光る。――ああ、これに自分好みに調合したお香を焚きしめて、月の明るい夜に着て歩いたりしたら、どんなに素敵だろう。
 その時の私は、どこにでも売っているデニムにTシャツ姿。高級感あふれる店内には明らかに場違いな東アジア人の客を不審気に見ている店員さんに、思わず値段を訊いてみた。オーダーメイドで三千九百ディルハム、日本円にして、およそ十万円。
 結婚式用のドレスの話、ではない。ここ、アラブ首長国連邦を始めとするアラビア半島の女性たちが毎日着ている、民族衣装「アバーヤ」の話である。


 正直なところ、アブダビにやって来るまでは、私の「アバーヤ」についての認識は、「真っ黒い服」以外の何物でもなかった。彼女たちが「アバーヤ」を着ているのは、イスラームの戒律で女性は肌を見せてはいけないから。砂漠の厳しい太陽や砂埃から身体を守るためにもよいのかもしれない。ずっと砂漠で生活してきた、その名残のようなものだろう。
 ところが、である。アブダビにやってきてすぐに、私は自分のそんな思い込みを吹き飛ばされてしまった。
 どの女性のアバーヤにも、袖口に、襟元に、裾に、背中に、そして頭を覆う「シェアラ」と呼ばれるスカーフに、競い合うように実に様々な装飾が施されている。それは色とりどりの刺繍であったり、ラインストーンであったり、様々な大きさのスパンコールやビーズであったり、リボンであったり、レースであったり、あるいは直接染料で花模様が描かれていたりするのであるが、それぞれが漆黒のシルクに非常によく映えるのだ。じっと見入らずにはいられない。
 私が勤めている学校の同僚たちも、当然毎日思い思いのアバーヤに身を包んでいる。
「あらあ、そのアバーヤ素敵ね。どこのお店でつくったの?」
「これはね……」
といった会話がいつも交わされているのだ。
 学校で一番おしゃれな社会科担当のアイーシャは、その日に着るアバーヤに合わせて高級ブランドのバッグや靴も毎回替えているし、私が日本に一時帰国する際には、
「新しくつくるアバーヤに使いたいから、キモノの生地を買って来てくれない?」
と頼まれた。算数担当のシェイハは毎回ドバイで一番大きなショッピングモールの中にある高級店でつくっている、と話していたし、図工担当のイマーンの親友は、四歳になる娘がハロー・キティの大ファンなので、裾とシェアラにラインストーンで大きくハロー・キティをあしらったアバーヤをつくった、という。かわいいわよね、と話しながら笑うイマーンのアバーヤの袖には、シンプルな銀のラインがきらりと光っていた。
 そんな彼女たちに、私はいつの間にか夢中になって、私もアバーヤを着たい、お店に連れて行って!と子どものように頼んだのは、いわば当然の成り行き。そうして手に入れたアバーヤを毎日着て学校に通うようになり、コレクションもささやかに増えて今に至る。デザインを選ぶ楽しさもさることながら、すっぽりとアバーヤを着てしまえば中に何を着ていても構わない気楽さも、私にとっては嬉しい。こう書くと何だかだらしがないようだけれども、事実、アバーヤはこの地域の女性たちにとってのビジネススーツのようなものなので、職場を始め大抵の場所は、きちんとクリーニングされた仕立てのよいアバーヤを着ていれば失礼にならないのである。
 始めは驚くやら喜ぶやらだった同僚たちは、今ではすっかりアバーヤ姿が板についた私に、サイトウ、あなた、もういっそのことムスリムになっちゃいなさいよ、と可笑しそうに笑う。
 

 アバーヤにも流行がある。街には専門のテイラーが何件も軒を連ねており、ショーウィンドウにそれぞれの店の威信をかけた新作を展示している。店内に展示されているアバーヤのバリエーションは、流行をしっかり取り入れつつも、どの店に行っても数えきれないほど。私がアブダビに来たばかりのころは袖口がラッパ型に大きく広がった形が主流であったが、昨年頃から逆に、袖口がきゅっと締まっているものが目立つようになった。ここのところ広まって来ているのは、締まった袖口はそのままに、肩から袖口にかけてかなりゆったりとドレープをとったもの。ちょっと日本の着物のような雰囲気である。私が思わず見惚れてしまった美しい蝶のようなアバーヤは、そこに更に手を加えられたものであった。価格から考えて、もちろん普段着ではなく、結婚式など特別な時のためのものであろう。冬になると、襟や袖口にファーの着いたものも出ていたりする。安いものは日本円で三千円前後、一般的には六千円から一万二千円の間のものが多い。もともとは身体のラインを隠すようにできている衣装だと思うのだが、客の注文に応じて身体にぴったり合わせたタイトな形にすることもできるし、少しお行儀の悪い十代の女の子は前開きのアバーヤを着ていて、その中がミニスカートだったりもする。おばさんくさいからアバーヤは着たくないわ、という女子高校生にも会った。そんな女の子たちを見て、昔ながらの本当にずどん、とした形のアバーヤを着ている年配の女性たちは、やれやれ、最近の若い娘たちは困ったもんだね、と眉を顰めている。
 この国が毎日ものすごい速さで変わり続けているのを象徴するかのように、アバーヤの流行も、移り変わりが非常に速い。さて、次はどんな形が流行するのだろうか。自分なりに予想を立ててみることも、また愉しい。

※このエッセイは「短歌往来」2010年1月号から8月号にかけて連載されたものです。本稿は今回の掲載にあたり、一部書き改めました。




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