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この海のように~アブダビ通信①~

 美しい街である。
 初めてこの街を歩いた日本人の友人は、街全体が日本の千葉にある某巨大遊園地のようだ、と驚き、ため息をついた。

 「コーニッシュ」と呼ばれる海沿いの道路は約八キロに渡って美しく舗装され、ナツメヤシやジャスミンの木が整然と植えられて、青々と茂っている。これらの樹木や草花には二十四時間規則正しくスプリンクラーで水が撒かれ(これがこのアラビア半島という砂漠地帯でどのような意味をもつか、読者諸氏にはおわかりいただけるだろうか)、花は枯れる前に植え変えられる。あちこちに造られた噴水からはどうどうと水が吹き出し、湾岸の強い日差しをきらきらと跳ね返す。誰かがゴミを投げ捨てても、たちどころに掃除される。
 この原稿を書いている2009年10月下旬から11月初旬にかけて、アブダビ初のF1グランプリが開催されたのだが、その開催に当たってはこのコーニッシュに「ファンゾーン」なるものがこしらえられた。既に美しく整備されていたコーニッシュの海をさらに埋めたててビーチを広げ、オープンカフェをいくつもつくり、まだ新しかった大きな噴水をつぶして広場にし、そこに巨大なスクリーンを設置して中継を映しだしたのである。スクリーンは、グランプリの終了と共に撤去。なんとも贅沢なお金の使い方だと思うのだが、慣れというのは恐ろしいもので、私は現地の人々同様、すっかり驚かなくなってしまった。

 これらの工事や管理を請け負っているのは、インドやパキスタン、バングラデシュを中心に、世界中からやって来た出稼ぎ労働者たちである。給料は一月で二~三万円ぐらいか。街を歩いていると、アラビア語や英語よりも、彼らの話すヒンディ語やウルドゥ語の方がよく聞こえてくる。ビルを建設している労働者たちは、四十度を超える炎天下にも関わらずエアコンのついていない古いバスに乗せられて、それぞれの仕事場に通う。おそらく仕事帰りなのであろう、バスの中で一様にぐったりしている彼らを見ると、腹立たしいような申し訳ないような、何ともやりきれない気持ちになる。しかし祖国が豊かでない彼らにとって、ここはまだ、よい働き口であるらしい。毎月次々とやって来ては黙々と働き、こつこつと給料を貯め、それぞれの国へと帰って行く。そんな人々が、この街の人口の8割以上を占める。
 一方で、日が暮れて涼しくなったコーニッシュを家族連れで楽しそうに散歩する、「ナショナル」と呼ばれるUAE国民。彼らの平均年収は一千万円以上である。「ヴィラ」とよばれる邸宅に住み、男性は欧米産の高級車を何台も乗り回し(ちなみに車本体だけではなく、ナンバープレートにお金をかける人々もいる。自分の好みのナンバー、007だったり、11111だったりーーを、億単位の金額で買うのだ)、女性たちは、最新の高級ブランドのバッグや化粧品が大好きである。この地域の民族衣装である「アバーヤ」には刺繍やラインストーンで豪華な装飾が施される。毎年流行があって、その年によって襟や袖口の形が微妙に変わるので、そのたびに新しいものがオーダーメイドされる。「リーマンショック」に端を発する世界同時不況で彼らもずいぶん損をしたのだろうが、私が見ている限りあまりその影響は感じられない。税金はなし、医療も教育も無償。私が日本語を教えている小学生たちはーーああ、一様に睫毛が長く、目がくりくりしていてかわいいけれども、一人につき一人フィリピン人のメイドをあてがわれ、欲しいものを何でも与えられて、大家族の中でみんなから可愛がられ、とてもとても我儘である。

 開発の進んでいないところではジュゴンもいる、という美しいこの海で、かつて彼らは、毎日神に祈りを捧げながら、魚と、そして真珠を採って暮らしていた。それは油田が発見され、世界中の人々に羨まれるようになった今では考えられないほどの重労働であったというが、人々は今でも真珠が好きである。欧米化された生活の中にももちろんアラブの風習は色濃く残っていて、街のあちこちで乳香が焚かれてよい香りがし、人々の祈る姿を見ることができる。そして彼らの目の前にはいつも、穏やかであたたかい海がある。
 このアブダビという不思議な街で暮らし、働き始めて、もう二年と半年が過ぎた。世界中から仕事を求めてやってきた沢山の外国人労働者。そしてまるでジェットコースターのように変化してきた自分たちの生活に戸惑いながらも、日々を楽しんでいる「ナショナル」の人々。彼らを見つめ続けながら、アブダビの海は一年中凪いでいる。急激な人口の増加にまだ下水道の整備が追い付いていなくて、残念ながら水はやや濁っているけれど、それも気にしている様子はなく、凪いでいる。覗き込むと海底にサンゴが生息し、小魚が泳いでいるのが見える。サンゴの生息する海特有のエメラルドグリーンは、まだまだ美しい。

 そう、海は凪いでいる。毎日かんかんに照る太陽にうんざりすることもなく、年に数回降る珍しい雨に驚くこともなく、砂嵐の激しい風を畏れることもなく、人間に多少汚されても、埋め立てられても怒ることなく、私のようなちょっと変わった人間が覗き込んだ時にはやあ、というようにきらりと光り、いつも、凪いでいる。このアブダビの海を初めて見た時に、どんな時にもこの海のように、全てを穏やかに受け入れて毎日を過ごしたいと、私は強く思ったのだった。もちろん今も、そう思っている。とても難しいことではあるけれども。

 幸運なご縁があって、私のアブダビでの経験をこの「短歌往来」で書かせていただくことになった。この海と向かい合って立った時のすがすがしさを、少しでも日本の読者諸氏に味わっていただくことができれば、と思う。

※このエッセイは「短歌往来」2010年1月号から8月号にかけて連載されたものです。
(もう10年前なのか……)

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