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Strange Darling 奇妙なあなた

9月1日。地元のローガン劇場で。

一つの話を6つの章に分けて、それをまた時系列を変えて見せるドラマ。

私は割と早く「どんでん返し」を見抜いてしまって(自慢か!)連れ合いが悔しがっていました。

でも、これは単なる「どんでん返し」ではなくて、監督が、我々の中にある偏見や思い込みに挑戦しているものだと思うのです。そして、物語というものが、時系列を変更することで、そして一部を切り取ることで、全く異なる想像を受け取る側にさせることができる、ということを示してもいます。

いわゆる「シリアル・キラー」の話で暴力描写も凄まじいのですが、それにめげずに見ていくと、物語というものの恐ろしさが見えてきます。

以前、アメリカでは子どもが戦争の犠牲になる話がない、ということをしたことがあるのですが(ここではありませんが)、実際、南北戦争以来、戦場になっていないアメリカでは、戦争はいつも遠くのどこかで行われているのです。(代理戦争然り)ですから、子どもが戦争で亡くなる話に免疫がな異様に思えます。そういう話をすると、ものすごく驚いて腑に落ちないようなのです。(「ホタルの墓」が、こちらで受けるのも、斬新に思えたからかも知れません)

つまり、物語を理解するには、メタ認知の分野である程度のパターンが刷り込まれていないと理解しづらい、ということなのです。そして、この映画は、そのメタ認知の部分を揺さぶってくるのです。

なんだか、一風変わった、でもガツンとくる映画を立て続けにみた週末でした。

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