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不登校だっていいじゃない

ここ数日、日本の小中学生の「不登校児童」について書かれた本を読んでいる。

私自身教育関係の仕事をしているので勉強になればと思い読み始めたのだが、いざ読んでみると想像していたよりずっと興味深くて、所々マーカーを引きながら読んでいる。
コロナをきっかけに、より加速した不登校児童数の増加を問題視しつつ、ふとしたタイミングでどうしても「不登校だっていいじゃないか」と思ってしまう。というのもこの本を読んで、もしかしたら過去の私も不登校児童だったのかもしれないと今更ながら答え合わせができてしまったのである。

本によると、文部科学省は「不登校児童」
「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」
と定義しているらしい。

この定義に倣えば、小中学生の頃の私は立派な不登校児童であった。
幼い私はとにかく「学校」という1つの大きな社会がすごく苦手だった。友達はたくさんいたし好きな授業もあったけれど、それらと天秤にかけても尚「学校」が苦手だったのだ。曜日ごとに決まった時間割があって、休み時間もお昼ご飯の時間も決まっている。行事や試験の時期も毎年変わらず、毎月同じようにお便りが配られて、毎日同じ教室に行って、毎日同じ顔を見る。そんな全てがきっちりと決まった環境対し、常に微弱な焦燥感を感じていた。何か追われているようで気持ちが落ち着かないので、制服を着崩したり授業中に本を読んだり授業をサボって保健室の先生とお話ししていると色々な先生から怒られる。気づけば息苦しくなって学校を休んでいた。
幸いなことに母は「休めるうちに休んだ方がいい。」というタイプだったので、特に後ろめたさも感じずに休み休みの学生生活を過ごした。そして不思議と月に数日自ら休暇日を設けて学校を休むことで心のバランスも取れていた。学校に行かないことで、最低限学校を好きでいられたのだ。

だから本を読んでいて、不登校児童数が増えている現状を危惧し「子どもたちに学ぶ権利を」「心のケアを」「親や社会ができるサポートとは一体」なんて議題が出ていることに関して、いささか違和感を覚えた。なんというか「不登校児童のゴールが、あたかも将来みんなと同じように活動できる人間になることだと思っていないか?」という気持ちになったのである。
もちろん、いじめや家庭環境、環境の変化が原因で「学校に行きたいけれど行けない」という子からすれば、みんなと足並み揃えた日々を送ることがゴールな場合もあるかもしれない。けれど、根本的に集団生活や規則正しい生活が苦手な「純粋に学校に行きたくない派」だって少なからずいる(過去の私のような)。そんな子達からすれば、ゴールが"学校に行けるようになる"に設定されている社会はきっと息苦しいだろうなと思う。

私はというと、大人になった今でも省エネ人間である。
子どものころ苦痛に感じていた項目は今も変わらず苦痛で、毎日決まった時間に規則正しく生活すると焦燥感に苛まれる。『お昼休憩』という言葉を聞くだけで「今腹減ってねぇよ!」と発狂しそうになる。もうこれはきっと死ぬまで変わらないんだと思う。それでもここまでなんとか生きてこれたのは、不登校を通して、早いうちに「私はきっとみんなと同じようには生活できないんだろうな」と気づけていたおかげだ。みんなと同じように学校に行けなかったからこそ、長い学生生活を経て自分に合った生活スタイルを模索することができたのだ。
私にとって不登校は、自分の性質を理解する良い経験の場になっていたのだと、今になって思うのだ。

私だって学校が大好きでキラキラしている人に憧れていた時期はあったけれど。高校2年生のタイミングで休み休み通っていた学校に完全に通えなくなってからは、そんな憧れも抱かなくなった。ほぼ強制終了のような、「そんな完璧な人間に憧れても無駄だよ」と思わざるを得ない、私にとっての最大の挫折を経験したのだ。
不登校を通して、強制的に憧れを捨て去れたことは結果良かったと思う。最近、ありのままの自分を受け入れることは大人でも難しいんだなと思うから。若いうちからどう頑張っても好きになれない項目を知れたことはお得だった。学校が苦手だった私は相も変わらず日常を生きることが苦手だけれど、不登校という鍛錬のおかげでそんな自分を少なからず受け入れ、等身大の、自分に合った日常の過ごし方を会得できているのだ。

だから不登校だっていいじゃないかと、やっぱりそう思う。
学校が苦手で、嫌いで、行きたくない気持ちを知り向き合うことも、己の人生を生きていく上で必要な鍛錬だと思うのだ。
なんの理由もなく学校や社会生活が苦手な人たちに目一杯のエールを送りたい。その感情は立派なアイデンティティで無駄じゃないものだから、生まれてきたことに意味なんてないから、足並み揃えず生きていくのもまた乙なものであると。


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