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【読書感想】「たゆたえども沈まず」

前半ネタバレ無し
下の方に段落開けてネタバレを含む感想

「たゆたえども沈まず」
原田マハ

エンタメ度    ★★☆☆☆
文の理解しやすさ ★★★★★
ギミック性    ★☆☆☆☆
世界観の独特さ  ★★☆☆☆
読後の満足感   ★★★☆☆
(この辺を重視して私は本を読んでるよという目安。あんまり参考になんないぞ)

フィンセント・ファン・ゴッホの生涯をもとにしたリアリティのあるフィクション。
主に、この小説のオリジナルキャラクターの加納重吉と、フィンセントの弟であるテオドルス・ファン・ゴッホの視点から物語が語られる。
オリキャラがかなりファン・ゴッホ兄弟の人生に干渉しているけど、物語をドラマチックにするだけにとどめられていて大筋を変えたりはしない。
資料をかなり読み込んでるのが分かる。

文体はクリアでなおかつ柔らかい感じ。
とても読みやすかった。
読者にとって余計なノイズにならないように、描写をコントロールしてるかもね。
こんなに詳しかったらもっと書きたいことあったはずなんだ。
リアリティやディティールを詰めすぎると物語としてはいまいちになることもあるから、そのへんのバランスが優れていると感じた。

フィンセント・ファン・ゴッホという画家について詳しい人には逆におすすめしにくい可能性がある。
いくつかのシーンが明らかにフィクションなので、その部分に引っかかってしまうと急に現実に引き戻されて物語に入り込めなくなるかも。
「この話はフィクションである」と割り切って物語を楽しもうとする、ちょっと変わった所の筋肉(?)を使って読めるなら大丈夫。

あと少し話しはそれるけど、2024年1月くらいに「ゴッホアライブ展」という展示を見に行って、そこでの説明書きが「ゴッホ」ではなく全て「フィンセント」で統一されていた理由が分かった。
弟のテオドルスが「ゴッホ」を語るうえで欠かせないから、それをきちんと理解すると「フィンセント」「テオドルス」と表記しなければならないんだ。
どっちも「ファン・ゴッホ」だからね。
心のこもった良い展示だったんだな、ということがこの本を読んで分かった。

私もまたテオドルスの人生を知り「ゴッホ」が画家の方だけを指すとは思えなくなり、さっきから「フィンセント」って書いている。

以下ネタバレを含む感想。自分語りも含む。













19世紀のヨーロッパがとても好きなので、序盤の方の世のあり方を多く説明してる部分がかっこよくて良かった。
テオドルスがかっこいい。
仕立ての良いスーツを着こなし、仕事のために自分の心に嘘を付く、優雅に振る舞う紳士。
セクシーだな、と思いました。
上っ面だけの笑みを浮かべ、完璧な所作でそつなく何でもこなすけど、心に苦悩を抱えている男が好き。
だから、登場からテオドルスが好きになってしまった。
そこから「絶対最期若くして死ぬんだよな…」と思いながら読み続けていた。
しんどい。

メタ的な好みの話。
私が物語に期待することの一つに「作中でタイトルが重要な要素になっている」というのがある。
この本は作中で「たゆたえども沈まず」を状況や対象を変えて何度も描写している。
最初の手紙がいつまでも沈まずに川を流れていくシーン。
パリという街が何度水害にあっても復興して、世界の経済の中心として華やかに存在すること。
各キャラクターの生き様。
フィンセントの言葉。
フィンセントの画風。
タイトルを常に意識した構成になってる物語の作り方、とても素晴らしい。


林さんがフィンセントにアルル行きを提案するシーン、ここが一番引っかかった。
フィクションて分かってしまうからね。
それと、フィンセントの人生にかなり介入してるのに、決定的なところでフィンセントが欲しい言葉をかけてあげないの何でだろうと考えてた。
これも途中までノイズだったんだけど、作者はフィンセントが自殺するという結末を変えない上で何ができるかをいろいろ模索したんだな、と思ったら大丈夫になった。

日本人二人は作者の化身として考えるとしっくりくるかも。
林さんは作者がフィンセントに前を向かせたい気持ちの化身で、重吉はテオドルスの苦悩を友として聞いてあげたい気持ちの化身だ。


フィンセントほどではないけどテオドルスも情緒が不安定に描かれていて良かった。
テオドルスは金銭的・精神的援助をし続けたから愛情深くしっかりした男に見えるけど、それは一側面であってフィンセントと似た者同士であるからこそ関わり続けることが出来たんだと思う。
彼からはものすごい強い執着を感じる。

これまでの私の人生で学んだこの世の真理みたいなものがあるんだけど、
「人でも物でも出来事でも、その対象に執着を向ける限り幸福からは遠ざかり何かが壊れる」
「愛情による行動と執着による行動は見分けがつかない場合があるが、後者は最終的に自由が奪われる結果になる」
これにテオドルスが当てはまるんだよなぁ。
かなり頻繁に手紙のやり取りをしていた、という史実からもそう推測できてしまう。
フィンセントは言わずもがな、絵や理想に執着している。
2人とも愛情を持って対象に接していたのならもっと自由を感じていると思うんだ。
「2人は表面上は兄弟愛に見える強い執着によって滅ぼしあった」というのが、ファン・ゴッホ兄弟に対する私の解釈になった。

フィンセントの絵や画風は今や世界的に大人気で、その「物語の後の事」を含むと「たゆたえども沈まず」が成立するのかもしれない。
でもそれはフィンセントやテオドルスや当時の関係者の個人の幸福とは無関係に成立する物なので切ないね。
後世の我々が何を思っても彼らには届かないのに、思わずにはいられないと言うところからこの物語は出来たのかもしれない。


少なくとも、この本を読んだあとはフィンセントの絵にいっそう感動することになると思う。
今までは星月夜とかアーモンドの花とかひまわりとかにばっかり注目してた。
タンギーじいさんの肖像とか詳しく知らなくて「ふーん…?」って思ってたけど、今は心を打たれるようになった。


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