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どうして待つのだろう・・・

こんにちは、cocoです。

以前にも、投稿しているないようかもしれないし、動画内でも(YouTubeで配信してます♪)お話してるんですが、この地球は、行動の星。

スピリチュアルのお話で、行動しなくても思っているだけで願いが叶う的な引き寄せの法則があります。

実際、本当に願いが叶っちゃう人もいると思います。

そういう人って、「こうなりたい!」と思ってじっとしている訳ではないんだと思います。

何かしらの行動を起こしていると思う。

恋愛で、「相手が来るのを待ってる・・・」という方が多い。

それを選択するのは、その人の自由だから「ずっと待ってる」を選択してもいいんだと思います。

だけど、一度お別れしたお相手をずっと待ってるというところに、とても違和感を感じてしまうのです。

運命のお相手であったとしても、カルマ的なお相手だとしても、お別れするまでに何かしらの学びがあったんだと思います。

運命のお相手というものは、その先に自分の魂的な成長があって、また、その先にご縁があれば自分で分かってくるものなのではないでしょうか。

ただ、待ってるというものは、その先の選択肢を狭めるものだと思うし、本当は、本当の運命のお相手がいるのだとしても、過去に拘って、そこに留まっている限り、次の展開は望めないのでなないかな?というものが、私の思うところ。

過去に拘っていたのだとすれば、新たにご縁のあった人がいたとしても、その学びを、また、させられるような具合で、そこをクリアしない限り、同じドラマを体験するだけなんだと思います。

「この人が運命のお相手なんだ。」と決めつけていれば、そこには、執着が生まれてしまい、違う選択肢を受け付けなくしてしまう。

本当に、勿体ない・・・。

ツインレイなどのネットで出回っている情報(これも、ネットに出している情報ですけどね。)では、

「一度、お別れがある。」

とあります。

だから、本当は、違うかもしれない、ただ、学びの為のお別れだったかもしれないその人のことをずっと忘れられなくてずっと待ってる・・・。

なぜ、待ってる・・・んだろう。

もっと、素敵な人に出会うチャンスがあるかもしれない。

そこには、そこから抜け出せないようにさせるような何かがあるのかもしれない・・・と、思考を変えてみると、「相手」ではなく、「自分」に目を向けられるのに…と思ってしまう。

でも、多分、これは、拘っている限り受け入れられない言葉かもしれないですね。

過去のお相手が自分の運命のお相手だという拘りを持っていると、「そうなんですよ。その人が運命のお相手です。」という引き寄せがやってくるのではないかな?
人物ではないとしても、そういう言葉とか。

本当に運命のお相手であるかどうかは、自分が一番分かるものであるものだと思います。

本当にそうなのかどうなのか?に一生懸命になっているとそういうものを引き寄せてしまう。

魂が成長した先に、そのお相手が存在し、出会うという設定になっているのであれば、自分にフォーカスして成長し、いろんな手放しや体験などたくさんしていけるように行動したり自分を癒したりすることで、パラレルのシフトチェンジなどが起こったりなんだりして、その時の自分の波動に似た人達の出会いが起こるんじゃないかなと思います。

じっとしてて、違う展開を望むという考えを採用するのも個人個人の選択によるものだからいいのだけど、変化を望んでいるのならじっとしてたら時間が勿体ないよね・・・と思うのでした。


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